オシムに聞けっ!! (続き)

昨日は疲れてくじけてしまったので、今日続きをやります。再放送もあるようですが、乗りかかった舟だ、最後まで行っちゃえ!


オシムに聞けっ! 

Q:勝負の最初は選手を選ぶことだと思うのですが、選手を選ぶことは料理の食材を選ぶことだという気がするのですが。例えばフォアグラや伊勢海老や高い食材だけで料理はできない。サッカーも料理に似ていると思いませんか?
オシム:残念ながら私には大きな調理場がありません(笑)。小さな調理場で素朴な食材を使って、おいしい料理が作られることもありますがね。サッカーは平均的な選手が揃っていた方が、良いチームを作れることがあります。そういう選手が揃っていた方が、チームとしてうまく機能しプレーのコンビネーションがうまくいく場合が多いのです。しかし、対戦相手が個人プレーが得意でチーム全体としても優れている場合には、勝つチャンスはないでしょう。せいぜい1試合ぐらいは勝たせてもらえるかもしれませんが、長期間で見た場合、そうしたチームに勝つ見込みはありません。その意味でサッカーと料理は違うかもしれません。
料理の場合、玉ねぎやその他普通の食材を使っても、立派な料理を作ることができるでしょう。サッカーはそれとは違います。じゃがいもみたいに、そこらに転がっている選手ばかりを集めたところで、チームは作れませんからね、ハハ(笑)。
しかし一方で最高の選手を集めたところで、最初のうちは良い成績は期待できないでしょうね。そんな選手はまずチームに適応して、考え方を改める必要があるからです。それには監督とのコミニケーションも必要になります。つまりまず自分の個性をチームという集団に順応させて、集団全体としてうまく機能させないといけない、ということです。次に問題になるのは、その集団の中でその選手がどうしたら個性を発揮できるか、ということです。そうすれば第二のバルセロナミランレアル・マドリーができたのと同じことですよ。とにかく選手には一度自分の個性を集団に埋没させてみて、その集団の中でこそ自分の個性を発揮できるのだ、という確信を与えてやる必要があります。

Q:1年目の7試合は納得できるスタートの1年目でしたか?
オシム:いいえ、満足はしていません。たとえ全勝しても満足はしないでしょうし、負ければ尚更です。勝っても不満は残るものです。親善試合のガーナ戦とアウェイのサウジ戦で負けました。アグレッシブさが足りずに、結果を残せなかった試合でした。でも、それで良しとしましょう。物事を別の面から見る必要もあります。必ずしも結果が伴う必要はないと思います。日本がどの程度プレーできるかが分りましたし、次に何をすべきかが見えてきました。最後になってなぜこんなことができなかったのかと、後悔したくないのです。つまり現状に満足することはない、サッカーは人間と同じで限界はないのです。それにサッカーはポジティブなスポーツですからね。

Q:オシムさんの心臓の鼓動が分っている巻選手、そしてグッと力を上げてきた我那覇選手についての評価を聞かせてください。
オシム:2人に得点力不足の責任を押し付けるわけにはいきません。チームの得点力不足は、すべての選手に責任があります。つまり得点力は巻と我那覇だけではなく、全員で担うという方向にチームを導く必要があります。なぜなら、フォワード以外の選手も得点を決めはじめると、相手は対応が難しくなるからです。そしてフォワードもプレーしやすくなります。
一方で見落としていることがありはしないでしょうか。日本が守りに入ったときに、守備が得意な巻がヂフェンスの最前線となり、相手の攻撃を遅らせたり、ボールを奪ったりする動きです。彼の献身的なプレーは後ろの選手にとって大きな助けとなっています。
それから役割分担の話になると、我那覇ももうちょっと守備をやってくれるといいのですが、タイプの違うこの2人を強引に比べたくありませんがね。2人がこの番組を見ているなら、得点力不足でそんなに心配しなくてもいい、と言いたいです。なぜなら、チームが得点力不足に悩んでいるというのは簡単ですが、そういう際に全員がその理由を自問するべきです。キーパーまでが、自分はどうして得点力不足なんだと自問するべきですよ(笑)。

Q:最初の選手選考から、オシムさんが長い目で見た選手選考をしているように見えたが、長い目で見た勝負について話をしてもらえませんか?
オシム:多くの人はすぐに目に見える形での進歩を求めます。でも、そうした考えはサッカーにとってとても不都合なのです。サッカーにおける進歩とは、たまに見る人にしか気づかないものだからなのです。いつもそばにいて注意深く観察している人には、チームの進歩が見えないものなのです。親が子供の成長に気がつかないのと同じことですよ。成長に気づくのは久しぶりにその子を見た人です。選手についても同じことが言えます。ある選手を毎日観察してきた人は、たぶんその成長には気づかないでしょう。例えば15日に1度ぐらいの間隔で選手を見ている人の方が、他の人よりも成長に気がつきやすものだと思います。日本代表について言えば、一歩ずつ前進しようとしか言いようがありません。こういうことはトルシエ監督も言ったかもしれませんし、ジーコ監督も言ったかもしれません。将来の代表監督だって私と同じことを言うでしょう。

Q:オシムさんのサッカーの中で、90分をどのように分けて戦うのか、その辺を話してもらえませんか?
オシム:全ての試合に勝つことが出来る、という自信を持たせることが必要です。そう振舞うことです。どんな方法で勝つかは様々ですよ。
第一にしなければいけないことは、選手にチャンスはあると信じさせることです。次に考えるべき点は、勝つ手段です。どうやって勝つか、どうチャンスを作るか、ということです。次に必要なのは対戦相手について良く知ることです。選手によくアドバイスすることですが、対戦相手の立場から自分たちのチームを眺めてみろ、ということです。敵が我々のチームをどう見ているか、それについてイメージさせるのです。例えばサウジアラビア戦では、私自身がそうしたし選手にもそうさせたのですが、ある場面で相手が日本のプレーについてどう考えるか、それをイメージしろと言いました。加えて、監督が何を考えてくるか、それをイメージしろとアドバイスしました。
その際に、失うものは何もない。アジアカップの予選は必ず通過できるだろうと励ましながら、サウジアラビアはこうやってカウンターを仕掛けてくるだろうとか、こういう攻撃パターンもあるかもしれない、といったことについて話し合ったのです。
サウジアラビアは日本に何が出来て何が出来ないかを知っているとも話しました。こうした作戦がどれだけ成功したかは分りません。個人的には成功したと思っていますがね。大事なのは選手が監督に頼りきる状態をなくすことです。選手に自分の頭で考えさせること、それが一番大事な点です。監督の中には、自分が全部の選手のために考えてあげているのだ、と思い込む人がいるからです。そういう監督の考えに私は組することはできません。私のやり方とは違います。本来クリエイティブなプレーは選手自身から生れるものです。そのためにはもちろん選手の自由を尊重しなければいけません。そうした自由抜きには、いいサッカーはできません。

オシム:将来に向けて大事なのは、一歩一歩前進しようということです。つまり、選手たちにさらに上達の余地がある、ということを分らせることです。例えば試合中にちょっとした変化が見られるようになりました。具体的に選手の名前は言いたくありませんが、実は何人かの選手はある試合で私の要求に応えられませんでした。フィジカル面での問題があったのではなく、メンタル面での準備ができていなかったのです。しかし、次の試合ではある程度順応できるようになりました。
選手によって、話し合いで改善を求めることもできますが、別の選手ではより厳しい対処が必要な場合もあります。それはつまり、その選手を次の試合に出さないことです。前の試合での出来が悪かった、ということを分からせるためにです。そうすればその選手が次の機会を与えられた時に、要求に応えるのは確実です。
選手のパフォーマンスを改善するには2つの方法があるわけです。話し合いを通じて適切な指摘をするか、あなたは次の試合には出さない、次は呼ばない、という不愉快な方法をとるかです。私はこのやり方が好きではありませんが、たまには選手に改善の必要性を理解させるため、監督はそんな方法もとらなければなりません。もちろん私はチームから誰も締め出すつもりはありません。選手たちにそうした厳しい対処法があることを意識して欲しいのです。


Q:記者会見では選手には厳しいことは言いませんが、そういうことは監督はしてはならないのですか?
オシム:私のポリシーというわけではないですがね。ポリシーを貫くのは政治家だけでたくさんです。自分の振る舞いを説明するのは難しいですね。なるべく自分をコントロールするようにしてはいますよ。
選手はメディアからの批判を嫌うものです。ここ日本では特にそうですね。もちろん日本だけの問題ではないと思いますが、公の場で誰かを批判することが好きな人なんていません。そのことはジェフ時代から分っていました。プレーやピッチでの態度について批判されたら、誰もが不愉快に思うでしょう。そういった批判は公になる前に、チームの中で解消すればいいのです。難しいことではありますが。私自身の旧ユーゴスラビアでの経験について、選手に何か話したいと思っていました。できるだけ、直接的な方法でね。でも、通訳を介してしか説明できないのがもどかしいです。日本の選手はみな批判にはナイーブですから。その批判がどれだけ真剣な批判であったとしても、また批判を受ける選手がどう解釈するかにかかわりなく、通訳が私の批判を正確に訳したかどうかにも関係なく、日本の選手は批判にはナイーブに反応します。私はそういうことを日本で学んだのです。だから選手にとって不愉快な批判は、できるだけ直接その選手に伝えるようにしています。選手が喜ぶような話ならどんな方法でも良いと思いますが、不愉快な批判には説明を要するのです。そうした批判は結局本人の為でないといけません。


オシムに聞けっ!!! (完結編)