2002年6月30日 WC決勝

helguera2004-06-30

2年前の今日なのですね、横浜で決勝をやったのは。ワールドカップ決勝をスタジアムで見ることなんて、もう人生で最初で最後の経験になるのかな?なるだろうな。日本代表の試合をスタジアムで見る時の緊張感とは違ったワクワクドキドキ感は忘れられません。試合が終わったあとのゴールポストにもたれかかって立ち上がれないカーン、声を掛けに行くカフー、そのカフーがジュールリメ杯を受け取って高々と掲げるシーン、そして吹き出される紙ふぶき。それを見ながら、『死ぬまでに1回、日本代表がこのカップを掲げるシーンを見たい』と強く思ったのを思い出しました。


日本にとってのワールドカップは、まず出場を目指すもの。次にゴールを目指すもの。その次に勝ち点を目指すもの。そして初勝利を目指すもの。最後にグループリーグ突破を目指すもの。
正直、決勝の夜までは自分にとっての日本代表のワールドカップでの立ち位置はそこまででした。決勝トーナメントへの進出だって、それまで勝ち点0の国にとっては大変な目標でした。だからトルコ戦に負けたショックは大きかったとはいえ、よくがんばったという気持ちでいました。
でも、優勝の瞬間を生で見たら、いつかは日本代表のキャプテンがカップを高く掲げるのに合わせて大声で叫びたい、一緒に両手を高く突き上げたい、と本気で思うようになりました。もちろん、簡単なことではありませんし、もしかしたら(もしかしなくても)実現しない可能性のほうが大きい。でも、あの瞬間から自分にとって、ワールドカップでの日本代表に託す夢は『優勝してサポーターを心の底から喜ばせること』になったのです。


正直、そんな瞬間は訪れないかもしれません。でも、可能性はあるのだから日本サッカー協会にはそのつもりで強化方針を決めていってもらいたい。2年後、6年後、10年後のワールドカップで日本代表はどうなっているのか。そのためには、今の監督でいいのか? 今の強化方針でいいのか? 一次予選を突破するのが目標でいいのか? 出場すればいいのか? などと様々なことを考えてしまうのです。
あれからの2年間は代表を応援していても、素直にのめりこめない試合の連続でした。じゃあ、見なければいいだろうと思いますが、日本代表というチームはひとつしかないわけで、苦悶の連続のような日々です。


現実的に考えて、今の日本サッカーの世界の中でのポジションはどの程度かは心得ているつもりです。でも、だからといって強化の可能性をすべて捨ててよいとは思えません。もちろん、そんな効果は目に見えて現れるものではないよ、と言う人もいるでしょう。では、逆に問いたい。今の日本は強くなるためにできることをすべてやったか。最大限の努力をしたか。後悔はないか。

負けたとしてもうちは後悔せずに、自分のサッカーをやろう。90分間ベストを尽くして、どんな競り合いでも100%で行ったというスピリットで、激しく行ったっていうことの結果だったら私は納得いく。そして攻撃的に後悔せずにすべてを出し切っていて試合がそれで終わったら私は納得いく。我々より彼等が圧倒的に強ければ、すべてを出し切ってそれでも結果が負けになるのなら、悲劇ではない。なぜなら、その時の自分をしっかりと鏡で見て、いや、後悔はない、すべてをやったから。

日本が強くなるためにベストを尽くしたか。