ジーコシステム

シンガポール戦前日の選手コメント『結束が強くなった』とか『ファミリーのようだ』という発言について、弥七郎さんから非常に興味深いコメントをいただきました。

ファミリーという言葉は”隷属関係”と置き換えるとわかりやすいかもしれません。
現場と選手個々の間には越えられない壁(序列)があり、その壁を取り払い順番を変える権限があるのはファミリのパパことヘッド・コーチ(監督)なのでしょう。
この部分は選手が介在し得ない絶対不可侵のものであり、もし仮説が正しければ仮にリザーブの選手が好結果を出したとしても監督の意向が変わらなければ、引き続きリザーブの中で頑張るしかない訳です。
競争という概念を選手に課さない事で、信頼と安堵を与えるというメリットがあることを考えると、このやり方が必ずしもダメだとも言えない。
実際に一部選手からも好感をもたれている事も、このやり方にはそれなりのメリットも利点もある。
ただし、信頼(誰の?なんて書きませんよ)を失ったらどうなるかはもう言わずもがなです。
ジーコのやり方は『日本で一番上手い11人』を集めるやり方であって、上手い選手を選んだ以上、競争ではなく上手い選手が質の高いプレーを出来るように何も介在しないのがジーコの主張であり美徳なのだと考えます。
セレクションの時点で既に競争は終わっており残りのメンバーは選ばれた11人のために最善を尽くさないといけない。
実は一部クラブチーム、というかアントラーズは正にこの方法なのですが気がかりなのは得てして行き着くところが”選ばれし11人と伸び悩む脆弱な人材”に陥る点です。
ブラジルの大きなクラブチームよろしく絶えず豊富な人材供給源があるならこのやり方は悪いとは言えないのですが、近年のアントラーズを見る限りこのやり方が今の日本にとっていいのか?と問われると私は違うように思うのです。

このコメントの他にも、サッカーマガジン 1001号の中でのジーコインタビューでの『順番』とか『列に並んでいる』という表現を見て感じたことを書いてみます。


サッカーを語る上で3バックと4バックのどちらが優れているかを議論するのと同様に、ジーコ監督のこのやり方も良い悪いではないのでしょうね。3バックには3バックのメリットとデメリットがあり、4バックにも同様にメリットとデメリットがある。監督はそのメリットとデメリットを充分検討した上で自分のチームにあったフォーメーションを取ればよいのでしょう。ただ、取捨選択をする中で自分の理想と合っているのかどうか、自分のチームの選手たちに合っているのかどうか、そして選手が監督の指示を実行して実現できるのかどうか、これらを監督が充分検討した結果なら我々サポーターはその結果を受け入れるしかないのでしょう。


そうなのですよね、受け入れられるかどうかはその選択が効果的かどうかで決まるのではないかと思います。代表チームというところに合っているのかどうか、日本に合っているのかどうか、そして日本人選手が実行して実現できるのかどうか。
代表監督の人選が充分な検討を経ないで実現してしまってから現在に至るまで、『ジーコを信じる』という表現ではなく『ジーコのやり方は日本にあうのか』という議論が協会の中で置き去りにされたまま時間だけが経過しているように感じます。弥七郎さんのコメントにもありますが、ここ日本がブラジルのようにタレントの宝庫で、次から次へと海外移籍する選手を多数輩出しているサッカー王国ならこのやり方でも大丈夫なのでしょう。でも、悲しいかな今の日本は選手輸出国ではなく、まだまだ輸入国だと思っていますし、世界のサッカーから学ぶことも多いでしょう。その中で監督の信頼を勝ち得た11人をただ並べるだけのサッカーが効果的で効率が良いとは思えないのです。


『チームの結束が強くなった』とか『ファミリーのようだ』というコメントはとても聞こえが良いのですが、チームの中でのヒエラルキーを確立している選手からの『余裕』とも感じてしまいます。”スタメン組”は”控え組”に対してヒエラルキーの確立による身分の保証の余裕があり、”控え組”は”Jで結果を出しても召集されない組”に対するアドバンテージがある。この余裕のなせる業のように感じてしまうのです。
なぜなら、ジーコ監督の言うように、チームの中は常にレギュラー入りを虎視眈々と狙っている選手がいて、スタメン組の選手は狙っている選手に隙を与えないように頑張ることがチームの活性化につながるのなら、『普段出番の無い選手に出場のチャンスを』などという発言が常時出場している選手の口から出てくるのはおかしいですよね。
ブラジルに行ったことはありませんが、チームの中にビリビリするようなレギュラー争いの緊張感があるような状態なら、みすみす自分の今いるスタメンの座を狙っている選手にチャンスを与えるなんておかしいとは思いませんか。
このことを考えても、日本人選手にはこのジーコシステムは合わないのではないかと思ってしまいます。


今回のスタメン組による”控え組に出場機会を”という行為はキャバクラ事件を経験した結果の自浄作用というかバランス感覚が働いた結果だという考え方はありでしょう。でも、そのように思いやりのような思惑が選手間に働いているうちは、このジーコシステムは効果的に機能しないのではないかという不安があります。
もちろん別の角度からの問題として、例えばブラジルのように『サイドバックをやれ』と言われたら、誰に説明されなくてもそのポジションの動きや仕事が考えなくてもわかるようになっていない現在の日本では、11人をポジションに並べただけでは機能しないだろうという問題もあります。とってもサッカーがうまくて、とってもサッカーに対する理解が深い選手たちが集まったら、例えそれが寄せ集めのオールスターチームであっても高質なハーモニーが奏でられる世界もあるのでしょう。チャリティマッチである『ジダンフレンズvsロナウドフレンズ』*1などはジーコサッカーの理想像のようなものでしょう。でも、残念ながら今の日本サッカーはまだその次元まで到達していない。その中でどんなやり方が日本代表に向いているのかを考えると、答えは自ずとジーコシステムではないところに導き出されるような気がします。


今の日本はまだまだ監督が選手を強力な指導力で引っ張らなければいけない国なのではないのかと考えます。強力な指導力というのは、キャラクター的なものではなく、目指すサッカーを選手たちに分かりやすくイメージさせうる監督の力。選手たちを一つの方向にまとめられる力と言っても良いでしょう。それは精神面だけではなく、ピッチ上に描く人やボールの流れについても同様です。サッカーが人々に綿々と受け継がれてきたような歴史ある国ではない日本サッカーは、まだまだ監督による選手たちのプレーの整理をする必要がサッカーの歴史ある国に比べて高いのでしょう。その能力の高い監督が今の日本サッカーや時間の限られる代表監督に求められる指導力なのではないでしょうか。
日本はまだまだ選ばれた11人が自分たちだけで美しいハーモニーが奏でられるような国にはなっていなくて、楽器の演奏を教えてもらう必要があるのです。少なくとも楽器は弾けるとしても、それを11人で合わせる時にどのように演奏すれば良いのかを優れたコンダクターに教えてもらう必要がある国なのではないでしょうか。選手たちだけでハーモニーを奏でられるようになるには、もう少し時間が必要です。

*1:アディダスvsナイキ』ですね