勝ちに徹したジーコJAPAN―W杯1次予選を終えて 大住良之さん

うーん、勝ちに徹したのか、結果的に勝っただけなのか良く分かりません。勝ちに徹したのなら先制した後はもっと危なげなく守りきって欲しいし、ロスタイムでの勝ち越し等は勝ちに徹した結果とは思えません。もちろん選手たちの『勝ちたい』という強い気持ちは感じますが、それを監督がジーコだからということに結びつけるのは疑問です。

●「良いサッカー」への強迫観念

 6月には「良いサッカー」と結果が結びついていた。しかし7月以降は「良いサッカー」などほとんどできていない。しかし「これ以上ない結果」は出ている。

 私たちは「良いサッカー」をしなければ勝てないと思い込み、強迫観念にも似たその思いから、「良いサッカー」ができているかどうかを絶対的な評価基準とする傾向がある。しかし、ジーコはまったく違った考えを持っている。

この部分は哲学的な部分というか、どうも話をすり替えているような気がします。確かに『良いサッカー』がサッカーの全てではない。『強いサッカー』や『勝つサッカー』を求める国や、チーム、クラブ、監督がいてもいい。
ですが、私は自国の代表には『美しいサッカー』をして欲しいし、『美しいサッカー』を実現しながら勝って欲しい。それが私の思う『良いサッカー』です。そこに向かいまだ努力する余地が残されているのに、その努力をまったく放棄しているところに不満があるのです。

ジーコの考えを理解した日本代表

 ジーコにとっては「勝つこと」がすべてなのだ。「良いサッカー」ができれば勝つ可能性は高まるかもしれない。だが、そればかりにとらわれて、肝心の勝つことに集中する意志の力を失い、あるいはそこから目を背けているのが日本のサッカーだ――ジーコはそう言いたいのではないか。

 今の日本代表はジーコのその考えを理解し、試合で表現している。コンビネーションが不十分なため試合内容はひどくまずくても、11月17日のシンガポール戦を戦った日本代表にもその理解がしっかりあることは明白だった。

ジーコにとっては勝つことが全てという部分は同意です。でも、裏を返せばそれ以外には何も残らないサッカーとも言えませんか。今年になって、もっと強く言えば2002年以降の新発見が加地選手と玉田選手だけだったら寒すぎます。それに良いサッカーをしながら勝つことを求める道、良いサッカーをしながら勝つ確率をもっと高める道を模索しないまま何故このように言えるのかが疑問です。

また11月17日のシンガポール戦の中に、勝つことに集中するその考えの理解がしっかりあることがどこで明白だったのでしょうか。結果的に1−0で勝利しましたが、あの試合の中のどこかにジーコ監督の影響力や哲学が表現された場面が明白なほどあったのでしょうか。私にはどうも1−0という結果から後付した”こじつけ”にしか思えません。


ただ、このままでは来年の最終予選を勝ち抜けないという部分では大住さんも同じ結論のようなので、日本代表の更なる進化を待つばかりなのは100%同意です。