[キャッチボール]「子供を遊びから遠ざける判決」 2月19日付・読売社説

キャッチボールをしていたボールがそれて少年に当たり、少年が亡くなったと認定された痛ましい事故の判決についてのコラムですが、非常に違和感があります。事故の経過及び判決については全文を読んでいないのでコメントできません。しかし、社説のこの部分はどうなのでしょう。

小中学校の野球チーム、地元の少年野球団などが校庭で行う練習、試合でもボールを投げたり捕ったりする。

 学校で同様の事故が起きれば、被害者の側は、加害者の親や指導者、自治体などを相手取って裁判を起こすだろう。

 それを嫌い、最近では休日や放課後、校庭を閉鎖する学校も多くなった。空き地も減って、ますます子供たちの「遊び場」が無くなっている。

 地裁判決が、指導者や行政まで委縮させることのないよう願うばかりだ。そして親も。「公園で球技はするな。家でテレビゲームでもしていろ」。そんな言葉が当たり前の社会にはしたくない。

なぜ、『○○をするな』という方向に話が進むのでしょう。『キャッチボールは安全な場所で、もしくは認められた場所でしなさい』というだけの話ではないでしょうか。そして、安全とはどのようなことか、危険とはどのようなことかを理解させる方向に話を進めればいいのではないかと思います。
校庭で行われる野球の試合や練習と、不特定多数の人が遊んでいる公園で起きた事件をなぜ結びつけるのかが理解できません。子供たちの遊び場がなくなっているのなら、判決を責める前に、遊び場を作る方向で社説を展開できないものか、どうしてこの痛ましい事件の結果を少しでもポジティブな未来につなげられないのだろう。この社説の結論に対して理解に苦しみます。