大物ストライカー・ワシントンが早くも真価発揮 読売新聞

真価発揮かどうかはともかく、ワシントン選手が他の国のチームに移籍せず来日してヴェルディに入団した理由を不思議に思っていたのですが、そういうことだったのですね。

2002年に3度の心臓手術を経験しながら復活。欧州の名門クラブから誘われたが「ジーコもいる日本でプレーすることが夢だった」と東京Vを選んだ。かってトルコでプレーした際にチームに馴染めなかった苦い経験から、一生懸命に仲間にとけ込もうとするなど人柄もいい。


 練習試合や紅白戦ではまだ他の選手との連係がうまくいかなかったが、本番でのプレーは見違えるほどで、キャプテンのMF山田は「これでみんなの信頼を得たでしょう。もっといいボールが集まるようになるはず」。

ジーコさんはもちろん日本でも偉大な存在なのですが、ブラジルでの影響力は想像できないくらい大きいのでしょうね。


それと、ワシントン選手が仲間に溶け込もうとしている姿を想像すると微笑ましいのですが、それ以上に山田卓也選手の『これでみんなの信頼を得たでしょう。もっといいボールが集まるようになるはず』というコメントも素敵です。海外で活躍しようとする日本人選手と同様にヴェルディでは外国人助っ人でさえ、信頼されるには実績が必要らしい(笑)。だって相手はブラジル選手権の得点王ですよ。


やっぱり信じてなかったんだ(笑)。
シトン(ワシントンの呼び名)に預けておけばいいという感じ ニッカン

元ブラジル代表ながら、初対面の時にはクラブ全員に頭を下げて回ったという。礼儀正しくまじめな性格は誰もが認めていた。だが、練習では動きが鈍く、22日の甲府との練習試合でも簡単なゴールを決めただけ。イレブンもその実力に、半信半疑になりかけていた。

 だが試合後には、そんな評価が一変した。「普通の外国人なら、あの時間帯はあきらめている。聞く耳も持っているし、これからどんどん話し合って高めていきたい」(FW平本)。「今後はシトン(ワシントンの呼び名)に預けておけばいいという感じ」(MF戸田)と絶大な信頼を勝ち取った。

それにしても、コンフェデで来日した当時はもっと線の細い選手だったような気がするのですが、私の記憶が曖昧なだけでしょうか。