いよいよバーレーン戦

いや、ちょっと追い込まれましたね、日本代表。最終予選は6試合の長丁場とかいっても、バーレーン戦が終われば半分終わってしまいますからね。1試合の結果に一喜一憂してはいけないと思いますが、イラン戦の結果を受けて今度のバーレーン戦が『絶対に負けられない試合』になってしまいました。
もし引き分けたとしてもバーレーンとの勝ち点差は1点のままですから、まだ何とかなるだろうとは思いますが、負けて4点差になると、かなり他力本願のような感じになりますね。正確には後半3試合を3連勝すればいいのですが、最初の3試合を(仮に)1勝2敗で終えたチームがそれから3連勝するのは、よほどのことがないと難しく思えてしまいます。
こんな心配をしていても、あっさりホームで勝ってしまうかもしれませんし、むしろ勝てるだけの選手が揃っているはずなので、こんな心配をしなきゃいけないことがおかしいんですけどね。


イラン戦を終えて、監督に対する不満も随分ありますが、いかんせん中4日で監督問題が急展開するわけもないので、このバーレーン戦は本当に選手に頑張ってもらわなければなりません。ただ、イラン戦を見たときにずっと選手に対して抱いている不満というか物足りなさがあるんですよね。
慣れないフォーメーションで戦ったことや、1,300mの高地であったこと、10万人以上のイランサポーターに囲まれた試合だったこと、様々な要因があるかと思いますが、それでも選手に闘う姿勢、ファイティングスピリットが足りないのではないかと思えてなりませんでした。


1人1人の選手は相手と闘う気持ちは充分に持っていると思うのですが、どうもそれが試合の中でプレーにあらわれてこない。例えばイラン選手に抜かれた時に相手を掴んででも止めるとか、カード覚悟で後ろからタックルに行くとか、マークすべき相手は地の底までついていくとか。相手にドリブルで突破された時に、そのポジションでイラン選手を見送ってしまっている選手が見受けられたことが非常に残念でした。
これはもちろん選手1人1人の気持ちの持ち方や表現の仕方かもしれませんが、もともとそういったラフで熱い戦い方が苦手な日本人ですから、監督が試合前にどれほど選手の気持ちを高めているのかが気になるところです。


もちろん海外リーグに所属して日頃から”闘う”環境に慣れている選手たちは監督が煽らなくても自然に手が出て止めにいくとは思うのですが、何も言わなければただ相手を見送ってしまったり、ズルズル下がってしまう選手たちには監督が激しく言わないと難しいと思うんですよね。
前サッカー協会の岡野さんがフィリップの監督としての手腕の中で一番評価している点は『選手を闘う集団にしてくれたこと』と語っていたように思います。フィリップの代名詞であった”フラット3”や”高いDFライン”というのは、あくまで目標達成の手段であって、その目標は選手を闘わせることだと思うのですよ。どうしても受身になりがちな”守る”という行為においても、高い位置で守ることにより、より攻撃的に守る、高いリスクを抱えて攻める気持ちで守る。このように全ては『相手と闘い、その闘いに気持ちで負けないこと』が目標だったのではないかと思うのです。


バックの数が3人でも4人でも5人でも、そんなことはどうでもいいんです。その時の自分たちのチームの選手の内容と組織の成熟度、そして対戦相手との力関係、その試合の意義(絶対に負けられないとか、引き分けOKとか)、これらを総合的に判断して決めればいいことです。ただ、どんなフォーメーションで試合に臨んだとしても、選手の1人1人に『ファウルで止めてでも相手に行かせない』ぐらいの強い気持ち、勝利への執念がないとダメだと思うのです。
その意味で、あのイラン戦は物足りなかった。それを高めるのは監督の刺激であり、サポやメディアの強いプレッシャーであり、ホームの試合なら大歓声であり。


一番分かりやすいのは、チームの中に中山選手のように自らが引っ張れる選手がいれば良いのですが、残念ながら現監督はそのような人間性では選手を選んでいないようなので、あとは日本国内に張り詰めた雰囲気と当日のスタジアムの雰囲気で選手たちを後押しするしかないのかもしれません。
2002年の長居スタジアムのチェニジア戦のように、あのような酷暑の中で鈴木選手が前線から自陣ゴールラインまで相手選手をマークするために全力で帰ってきたように、現在の中盤の選手たちが例え抜かれたとしても、例え間に合わなくても、全力で足がつるまで走って守備をする、攻撃をする、そんな闘う姿勢を見せてくれたらバーレーンなど恐れるほどの相手ではないと思っています。


闘え、日本代表。