首相の靖国参拝

難しい問題ですし、この件について確固たる意見があるわけでもありません。しかし、毎回起こる「公人か私人か」という議論に強い違和感があります。
首相の靖国参拝訴訟、東京高裁「私的参拝」と認定 読売新聞
小泉首相の靖国参拝は違憲…大阪高裁が高裁初判断 読売新聞
争点となっている2001年8月13日の参拝についても、東京と大阪で違う判断が下されている。非常にデリケートな争点なのですよね。私人なら合憲、公人なら違憲


ここから先は私の意見ですが、果たして総理大臣という職務についている人について、私人という考え方が成立するのかという疑問があるのです。確かに誰に対しても基本的人権は保障されなければいけないことは良く分かります。それは総理大臣だって同じかもしれない。でも、総理大臣とか、最高裁の裁判官に任命された時から、私人としての基本的人権はかなり制限されるものだと思うのです。


例え話が大きく変わりますが、総理大臣が誰かに「息子の就職を、ひとつ頼むよ」と依頼した時に、依頼された側は個人的な頼みだと思うのか総理大臣から頼まれたと思うのか。たぶん大部分の人が「総理大臣から頼まれたのだから、何とかしなきゃいけない」と思うはずで、個人(私人)から頼まれたと思うのは、総理大臣に就任する前からの友人や親戚の叔父さんぐらいではないでしょうか。
これ以外でも、「あの会社は俺の知り合いなんだ、ひとつよろしく」と言えば、まわりはそれなりの対応をしてしまうでしょう。総理大臣として他の人よりも様々な権限が与えられる分、様々な制約も課されることは当然に思えるのです。それが嫌なら総理大臣になんてならなければいいだけの話です。だって、日本には職業の自由があるのですから。


このように総理大臣とか極めて公的性格が強い立場において、私人という概念が当てはまるのかと言う違和感があるのと同時に、たとえ私人という概念を認めたとしても参拝時に「内閣総理大臣」と肩書きを記入している以上、私人という理屈は通らないと思えます。
前出の読売新聞の大阪高裁の記事からの引用ですが、

判決によると、小泉首相は2001年8月13日と02年4月21日、03年1月14日に秘書官を伴って公用車で靖国神社を訪れ、私費で供花料を支払い、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳して参拝した。

とあります。


例えば私たちのような普通の立場の人間が結婚式や葬式に出席する時に記帳しますよね。その時に”住所と名前”で記入すれば見る人間は、「個人的つきあいなのだな」と思うでしょうし、”会社名・役職と名前”で記入すれば「仕事上のつきあいなのだな」と判断するでしょう。一般人だってそうなのですから、内閣総理大臣と記帳しておいて私人とかはありえないと思うのです。
首相が靖国神社に参拝することの善悪や是非は正直なところ判断がつきません。ただ、行動と言動が不一致だったり、はっきり態度表明をせずにのらりくらりと質問をかわす様子を見ていると不快感を覚えます。国内の問題にとどまらずアジア諸国も巻き込む問題だからこそ、はっきりした態度で望んで欲しいとは思っています。


最後に、この東京と大阪の2件の判決を受けての新聞各社の社説もバラバラです。
[靖国参拝判決]「きわめて疑問の多い『違憲』判断」 読売新聞
靖国参拝訴訟 違憲判断は司法府の警告だ 毎日新聞
靖国違憲判決 参拝をやめる潮時だ 朝日新聞