本当にミスパスなのだろうか?

明日はウクライナ戦ですが、ラトビア戦の後に感じた疑問を残しておきたいと思います。以下の文章は、私が楽しみに見ているBLUE SKY BLUEのJ-KET BBSに投稿した原文を一部加筆修正し転載した文章です。この文章を書くに当っては、J-KETに集まる個性的な投稿者の方々の議論にインスパイアされている部分が大きいので、投稿者の皆様に感謝するとともに、ぜひ前後の議論も併せて読んでいただければと思います。ここを読んでくださる方には、すでにお馴染みかもしれませんけどね。

日本の2失点目ですが、パスを出した中田浩二選手のミスとして簡単に片付けて良いのか疑問があります。
あの場面をラトビアサイドの心理に立って考えると、1点負けているホームの試合で終了間際、とにかく全員で前から相手ボールを追いかけている。前半から日本のボールスピードの遅い横パスのインターセプトは狙っていた(ように私には見えました)。
ラトビアから見て、右サイドの奥にボールを運んで、日本にとられた。でも、日本は一発で左右のサイドチェンジをするような、速くて強いパスは出さないし、DFからFWに対する縦のロングパスも少ない。中盤の中央を経由したり、DF間でボールをまわすことが多い。
ボールが中央に入ってきたら、そこを狙おう……。


以上は私のラトビア側心理の想像ですから、まったくの的外れかもしれません。でも、あの2失点目を単なる個人のミスで片付けて良いのかという疑問があります。
チームとして、あの時間帯にどう戦うという共通理解はあるのか。選手交代で、3バック2ボランチに変わった中での共通理解はあったのか。FWが鈴木選手と大久保選手がいることで、チーム内のパスの出し方を変えようという意識はあったのか。


それが選手同士で気がついて考えて話し合って決める問題なのか、外から見ている監督が指示したほうが良いかは置いときます。でも、前から狙っているラトビアに対して、「鈴木の足元に長いパスをつけて、キープかファールを貰おう」とか、「大久保のスピードを生かして、前目のラトビアの裏のスペースに長いパスを出して大久保を走らせよう」というような、チームの意図は感じられなかった。選手が気がつけば良いのでしょうが、選手交代の間などに、ベンチが指示して徹底させるのもチームの役割ではないでしょうか。


選手交代の意図は感じられましたが、その選手交代を生かす策は感じられなかった。その時間の失点を、パスミスという個人の問題としていいのでしょうか。もちろん、中田浩二選手が周りを見て、狙われていることに気がついて前に大きく蹴りだせば起こらなかった失点かもしれません。しかし、ゲーム終盤の選手が消耗している時間帯だからこそ、チームとして失点を防ぐ手立てがなかったことにも問題があるのではないか。


サッカーの試合というのは、ピッチ内にいる11人だけで戦うものではないと思います。ベンチにいる控え選手、コーチ、監督、準備に関わる人々。すべての人間の力を合わせて戦うものでしょう。試合終盤などピッチ内の選手に気がつく余裕がないときには、ピッチサイドにいる監督が指示をし、選手たちに徹底させることもチームとして試合に勝つために戦うことなのだろうと思います。
あの時間帯に、監督は戦っていたのか。言い方を変えれば、あの時間帯に監督はチームの力になっていたのか。個人のミスパスだけの問題としていいのか。そんな疑問を感じます。