アメリカ戦 コラムいろいろ

スポニチのワールドサッカープラスでの西部さんや他の方のコラムですが、すっきりしないというか、歯切れが悪いというか。
米国戦は3−6−1システムよりも運用に問題 スポニチ
[米国3-2日本] 風間八宏・川勝良一・川本治が斬る スポニチ
未来のために、伸二は後ろに ジェレミーさん


選手の出来の悪さについて語ってしまうことが多いですが、ディフェンス時の距離感の問題って選手だけの問題ですかね。今年の初戦という言い訳は理解できますが、あの3バックと2ボランチは今回初めて組んだわけでもない。それに後半途中から宮本、中澤選手のDFと長谷部、阿部選手の中盤という組み合わせは練習していたのでしょうか。これは遠藤、福西選手の出来が悪くて、長谷部、阿部選手の出来が良かったというだけなのでしょうか。


サッカー選手が10人いたら10通りのサッカー観があって、それをチームとしてどうすり合わせていくのかが監督の仕事だと思うのです。アメリカ戦の直前の全体練習でスタメン組の3−6−1が機能せずに控え組にやられてしまったときのコメントで、『1トップの久保選手を孤立させないように…』というコメントが多かったのですが、その気持ちが裏目に出るとスカスカのバイタルエリアにつながるのではないでしょうか。トップを孤立させないように押し上げるボランチ、相手の攻撃に押し込まれるDF。1度目の攻撃は跳ね返せても、クリアを拾われて波状攻撃をかけられるとチームとしての共通意識の薄さが露呈する。
オフサイドラインとは言わないけれど、ボランチが上げた時にDFもラインを押し上げるのかとか、組織としての連動性が出来ているのかどうかが不安なのです。新しい選手やフォーメーションを試すことに異論はありませんが、新しい試みが機能しないだけでなく、新しい試みの影に隠されてチームの基本になるべきものが出来ていないことが見えにくくなってしまうのではないか。そんな漠然とした不安があります。


オーストラリアとクロアチアの2カ国に互角以上の戦いをするために何が必要で何が不要なのか。そんな検討の上に試された3−6−1ならば価値もあると思うのですが、対戦相手のスカウティングや分析に関係なく、自分たちのサッカーを突き詰めるための3−6−1でのあの完敗は辛いですね。自分たちのサッカーを突き詰めるための3−6−1だと思っていたので、次のフィンランド戦も3−6−1でいくと思ったのですけどね。


たまたまピッチの上に近いサッカー観を持った選手が並んでいる時はうまく機能するとか、負けている試合の終盤でスクランブル状態でやることが限られているときは機能するとか、ピッチ上に中田英選手のように強いリーダーシップを持っている選手がいるときはそれに引きずられて他の選手のサッカー観を超えてひとつの方向に向かうとか。
このチームの問題点は選手間の距離とか表面に現れているものだけではなくて、水面下にこそ大きな問題が隠れているように思うのですが、そのようなことを指摘する解説は少ないですよね。ということは、私が考えすぎなのでしょう。