インド - 日本

ユニフォームの白い方がインドで青い方が日本でしたっけ、それとも逆?
どっちがどっちだか、分からないような試合でしたね。


勝負事ですから、結果はどうなるのか分からないこともあると思います。オリンピックの試合とは言え、日本がブラジルに勝ってしまうこともある。10回試合をすれば、7回や8回は実力通りの結果が出るだろうけど、1回や2回は意外な結果になるかもしれない。それがサッカーの面白さだし、怖さだというのは分かっているのです。だから、昨夜のインド相手に簡単に勝てと言うつもりもないのです。
しかし、両者の間に力の差があることは確かなのだから、試合の結果とは別に試合の進め方に圧倒的な物足りなさを感じてしまいます。同じアジアの中で、申し訳ないがインドぐらいの力の相手と試合をするなら、もっと”隙を見せずに余裕を見せた”試合運びをして欲しいと思ってしまいます。でも、昨夜の試合は”隙だらけで余裕がない”試合運びだったことが残念です。


例えば6月のワールドカップ本大会でも、ブラジル相手に日本が先制することもあるのだから、前半終了間際のセットプレーから日本ゴール前でドフリーでヘディングシュートされたことはしょうがないとしましょう。でも、後半のほぼ互角の戦いはどうなのでしょう。ワールドカップで先制した日本に対し力通り逆転した後のブラジルのボール回しに対し、分かっていてもボールを奪えなかった日本。それに比べ昨夜の日本は、インドの寄せにボール回しもままならない様子。プレッシャーをかけられると、苦し紛れのパスを前線に放り込んでボールを失ってしまう。2−0でリードしている状況と対戦相手との力の差。それらがまったく感じられない、余裕のない後半の戦いでした。


そんな後半の唯一の救いは、中村選手の素晴らしいミドルシュートが決まったこと。もちろん前半の播戸選手の2ゴールも素晴らしいものでしたが、力の差を見せ付けるという意味では、中村選手のミドルに救われた気がしています。もし、あの追加点がなくて試合が前半の2−0だけで終わっていたら…、確かに勝利は勝利ですが何とも後味の悪い試合になったことでしょう。3−0だから満足しているというわけではありませんが、それでもあのシュートが決まった瞬間に何かが救われた気がしてなりませんでした。もしかしたら救われたのは日本のプライドなのかもしれません。


そんな後半でしたが、水本選手の負傷により後半開始から投入された長谷部選手はリズムを変えてくれましたね。惜しむらくは、長谷部選手が中央をドリブルで強引に持ち上がり、ペナルティエリア前で左に開いていた山岸選手に出した決定的なパスを山岸選手がきっちりと決めていたら、あのグダグダの後半の印象も随分変わっていたのかもしれません。決定力不足などと簡単に一言で片付ける気はありません。相手は失点するまいと必死に守ってくるのですから、得点できなかったことを責めるつもりはない。しかし、最初のボールコントロールに失敗し、ゴールより遠くにボールがいってしまい自らシュートの角度を狭めてしまったことは相手に関係なく自分達のミスであり、直せる部分だと思います。完璧なボールコントロールをし、シュートも枠に飛んだのに相手のGKにファインセーブをされてしまったのならしょうがない。でも、ボールコントロールに失敗し、シュートも枠に飛ばない、それは山岸選手個人のミスであり、日本の決定力不足という曖昧な言葉で片付けていいことではないと思います。


何も山岸選手だけを責めたいわけではなく、巻選手もガーナ戦でチャンスになりかけそうなドリブルをコントロールミスして相手に渡してしまったし、この試合でも自分達のちょっとしたミスであまりにも簡単にボールを失ってしまう。どうも、「オシム監督のサッカーがどう」とか、「日本の決定力不足がどう」という前に、もう一度個々の技術や個々のミスについてはっきりと指摘した上で、その後に組織やチーム全体のミスや問題について指摘する。「日本の決定力不足」とか「世界との壁」という総論の指摘で終わるのではなく、「○○のコントロールミス」とか「○○の判断ミス」というように具体的に指摘し改善を促さないと日本人は変わらないかもしれないという気もしています。何らかのミスや失敗があったときに、「気持ちを切り替えて次の試合に挑む」のが早すぎると思うことがあります。後悔しても終わったことの結果は変わらないけれど、強く後悔しない限り同じミスを繰り返す。気持ちを切り替えずに強く後悔することこそ、今の日本に足りないのかな、などと思うことがあります。


ちょっと話が抽象的になってしまいましたが、それにしてもインド、電力供給はもっと何とかならないものでしょうか。ワールドカップ予選でも停電して、今度の試合でも照明が半分落ちて中断する。今回の試合は途中で試合開始時間が変わったのですが、それがインドの都合ならしっかりしろよということになるし、万が一日本の放送時間の関係なら申し訳ないというところですね。
それと、インド犬、もっと気配を感じて試合の邪魔をするな(笑)。


まあ今年いっぱいの試合は、今まで代表経験を積めなかった選手たちに経験を積ませながら代表で使える選手と代表で使えない選手の見極めになるのでしょうから、勝敗に一喜一憂する必要がないことは分かっているのですが、相手があるという前にあまりにも自分達のミスで試合のペースを失っていることが情けなかった。先日のガーナと日本の力の差より、日本とインドの力の差の方が開いているのではないかと思いながら試合を見ていたのですが、得点差はともかく日本選手の余裕のなさが力の差というものをまったく感じさせなかったことが残念でした。
巻選手や我那覇選手や佐藤寿選手は何本シュートを放ったのだろう。MFの選手たちはなぜミドルシュートを狙わないのか、サイドの選手は良質なクロスを何本入れた? 昨夜の試合で日本の攻めが『リスクを冒した攻撃』ではなく『苦し紛れの放り込み』のように見えてしまったのが非常に残念な試合でした。




インド戦後 オシム監督会見 スポナビ

――日本のパフォーマンスについては?

 多くの選手が疲れていた。彼らはリーグでも週に数試合プレーしており、特にフィジカル面では非常に難しい状態だった。

この疲れが後半のパフォーマンスダウンの原因なのでしょうか。ホームでスタミナ倍層のインド選手に対し、過密日程でアウェイの日本選手という感じなのかな。

――昨日話されていたポリバレントという意味では、前半にストッパーがオーバーラップしたり、三都主が右からアシストしたり、できていたと考えるか?

 DFがオーバーラップしてセンタリングすることは、ポリバレントの範囲には入らない。それはいいDFであれば、誰でもやることだ。ポリバレントという意味で、今日一番のプレーヤーは鈴木だった。つまり中盤の底でやって、アクシデントに対応して1枚下がってリベロになった。それから山岸が、最初は左サイドでプレーして、その後は右サイドになった。両サイドができるというのはポリバレントである。それができる選手がそろっていると、メンバーを交代せずにチームの中でポジションを変えて、全く違う戦い方ができる。そういう可能性を実現させることがポリバレントな選手だ。

このような表現だと”ボリバレント”の使い方としてはトルシエ監督と同じですね。役割ではなく複数ポジションを指しているようにも思える。

――遠藤が使えなくなったことでゲームプランは変わったのか?

 例えば紙の上でメンバー表を書いて、遠藤(の不在)は中村憲剛で代用が利くというふうに一瞬見えるだろう。エレガントなプレーヤーだから。それですべてがうまくいくと試合前には想像ができた。つまり遠藤と中村憲剛、両方ともボール扱いがうまくてアイデアのある選手だ。遠くまで見渡せて、パスが正確に出せる。一方では、そういう選手を2人並べて同時に使うことのリスクというものがある。つまり、そういう選手の多くは攻撃能力には優れているが、守備能力が足りない場合が多い。そこで相手が攻める時間帯が長くなると、守備でエネルギーを使い果たしてしまい、本来の攻撃能力を発揮できなくなることがある。そういう選手も中にはいるわけだ。
 皆さんの中には欧州組を呼んだらどうかと考えている方もいらっしゃるだろうが、遠藤、憲剛、それから中村俊輔、そういった攻撃的なMFを全部並べて使うわけにはいかない、ということも今の説明でご理解いただけると思う。攻撃的な選手ばかりをそろえれば格好いいかもしれない。だが、そのようなチームでは勝てないのだ。

ドイツではどう…(以下自粛)