個人プレー

相変わらず厳しい会見です。
モンテネグロ戦後 オシム監督会見 スポナビ
(少し長いですが引用します)

――個人プレーということだが、個人でドリブルで勝負するときは、そうすべきだと思うか?

 そうしてもいいのだが、タイミング、時間帯、そして目的がよくなかったのだ。タイミングが選手のプライベートな要因で決められたことがあった。チームとして前進している時間帯に、チームのためでなく個人のためにボールを使う。例えばシュートして得点する、あるいはナイスパスを出す、あるいは競技場の大画面に自分がアップで映りたいとか、あるいは試合後に自分のユニホームを振り回しながら競技場を一周するとか――。それもサッカーの一部ではあるのだが、そういうことはチームのためにならないと選手には伝えてきた。人気取りの競争では、選手の方が私より勝つだろう。日本はスター選手、個人で目立つ選手が人気を集める国だから。しかし、それではサッカーは前進しない。個人プレーをうまくできるのがスター選手。まあ、私も好きなのだが(笑)。しかし、そこで試合に負けて、私のクビが飛んでしまっては、どうしようもない。


テレビの画面でも中村憲選手がドリブルからのミドルシュートを大きく外したところで画面が切り替わり怒ったような仕草をするオシム監督が映されていましたが、それを個人プレーと切り捨ててしまうのもどうかなと思います。もちろん意を決してシュートにいくのならもう少し枠に飛ばして欲しいし、サイドにフリーの選手がいるのも見えていましたけれど、とかく自分からシュートを撃ちにいかない日本人選手の消極性を考えるとあのようなミドルシュートを狙う選手の行動を否定したくない自分がいます(笑)。

――個人プレーについて、今年になって増えたように思うが、それはなぜか?

 それは今年になって始まったことではない。そういうことが今後起こらないように、選手には言わないといけない。つまり症状が起こってから治すよりも、予防した方がよい。まだ治療できる範囲だと思うから、口に出して言っている。例えば中村憲剛、彼のようなレベルのクオリティーの選手であれば、ゴールのはるか上にシュートするはずがない。しかもシュートするタイミングの時に、彼の近くにフリーの選手がいたのに、シュートして外した。状況によって違うプレーができるかどうか。例えばモンテネグロの方が1−0でリードしている状況で、同じプレーをするのか。得点を挙げれば、明日の新聞の一面を飾る、あるいはニュースで大きく取り上げる、そういうことが頭にあったのかもしれない。「彼のプレーが試合を決めた」、そういう見出しだ。そういうことで、サッカー選手をやっているのかもしれない。選手の側にそういう野心があれば、皆さんがそれをかき立てるわけだ。だから、それをうまくチームのためにプレーさせるというのは、簡単なことではない。


最近何かの本で読んだ言葉ですが、日本人はシュートが大きく外れてもとりあえず「ナイスシュート!!」と声をかけるが、それは間違っている。枠に飛んでいないシュートはナイスシュートではないと。
この中村選手の場面でも前が空いていてシュートが枠に飛んでいればナイスシュートなのだと思いますが、モンテネグロ選手が前に入り、結果あれほど枠を外してしまっては個人プレーに走ったと言われても仕方がないのかとも思います。ただ、全体を否定するのではなく、状況判断の誤りを否定しているのだと言う事ですよね? やはり、良いミドルシュートの力を持っている選手には積極的に狙って欲しい。

勝った試合ではあるが、良かったことより悪かったことについて、より費やすことが明日のためになると思う。例えばパスミス、スキルの低さ、パスのタイミングが悪いこと、手間を掛けすぎること、ボールが私物であるかのように長い間キープしようとすること、などなど……。それらを直さないと、もっと良いチームにはならない。

このあたりの言葉は、会見後半の水野選手に対する評価にも当てはまるのでしょうか。

――水野を入れたときに、相当長い指示をしていた。どういう指示をしたのか

 私は水野だけでなく、交代選手にはかなり細かい指示を与えている。個人的に考えるのだが、日本代表のフルメンバーとしては、まだ彼は子供だ。才能には恵まれているし、アイデアも溢れるほどある。ただし、そのアイデアに自分がとらわれてしまう。そこで例え話だが、そこに牛がいる。ミルクが100リットル必要だ。そこで乳搾りをすればいいのに、牛にボールをぶつけてしまう。つまり、そんなことをしてもミルクが得られるわけがない。牛を見つける仕事までして、そこで成果を台無しにしてしまう。彼には、効果的なプレーをしろと。つまりサッカーのプレーをしているというよりも、ボール遊びが好きな選手だから、そういう選手がプロとして、職業としてサッカーをしている選手と混じって出場するわけだ。何に気をつけるべきか、指示したことについては、これ以上話すことはないだろう。彼の才能を、チームのために使わないのはもったいない。それくらいの才能を持っている。ただしその才能が、潜在的な才能で終わってはいけないと思う。


湯浅さんは同じようなことをこのように表現しているのでしょう。
またまた組織プレーと個人プレーの高質なバランスというテーマ・・(日本代表対モンテネグロ、2-0) 湯浅健二のサッカーホームページ

やっぱり「個人プレー」も発展させて欲しい(チーム戦術に組み込んで欲しい)と思っているのは私だけじゃないはずです。もちろんイビツァさんが言うように、ケースバイケースで、その個人プレーが、無駄で、チームのプレーリズムを乱す自分勝手アクションという評価になったり、自己責任をベースにした素晴らしい実効レベルのリスクチャレンジという評価になったりする。もちろん、ここでディスカッションしているのは、あくまでも後者の方ですよ。組織プレーとの「バランス共生」を主張できるだけの存在感(意義)のある効果的な個人プレー。それです。


効果的な個人プレーを効果的な場所とタイミングで使うことが重要で、基本は組織である。組織が基本であることを理解できない選手はどんなに優れた才能の持ち主であってもチームにとってはマイナスになる可能性が高く、外さざるを得ない。ただ、そこは意識の問題だけなのであって、与えられた才能をチームのために生かすも殺すもその選手自身の状況判断ができるかできないかだけの問題であって、できることならチームに生かして欲しいということでしょうか。


個人プレーそのものが悪いのではなく、使う状況とタイミングに問題があったということを明確に意識しないと、持ち上げて落とすのが好きな日本のメディアの格好のネタにされてしまうような気がします。「個と組織」の対立なんて、日本のメディアが飛びつきそうなキーワードですしね。この記事などはギリギリ大丈夫そうですが、こちらの記事などは微妙です。


シンプルにできる時間帯とできない時間帯 大住良之さん