大会5日目

ついに日本代表の登場だ。嬉しいというよりは怖い。4年前のフランスでの3連敗。ワールドカップ史上勝ち点を1点も獲得していない国が、いくら開催国とはいえグループリーグ突破できるのか。それ以前に勝てるのか。不安は尽きない。3年間の強化は順調だった。しかし、本番はまた別物。開幕戦のフランスの例だってある。とにかく負けスタートだけは勘弁だ、残り2連勝しかなくなるから。


チケットについて。1年前の国内一次販売の時は郵送で登録しまくったが、すべて外れた。バイロムの最初の登録分ではスペインのTSTー6Fのチケットが取れた。組み合わせ抽選の結果、スペインは決勝戦以外は日本には来ないことになった。キャンセルした。国内二次販売の電話登録も外れた。登録者なら当たり外れに関係なく電話できる初日、たまたま仕事が休みだったので、朝10時から夕方6時まで、食事とトイレを除いてリダイヤルをし続けたら、ドイツ-アイルランドの試合が取れた。でも、つながったのはその一回だけ。翌日にもう輻輳が掛からなくなってから、あまり人気のなかったカメルーン-サウジアラビアサウジアラビア-アイルランドを取った。2001年の年末時点で持っていたチケットはこの3試合だけだった。


年が明けて、1月にバイロムの余り分が販売されいくつかの試合のチケットが取れた。海外送金というものも、このとき初めてした。もちろん日本戦は取れなかった。2001年のうちから様々な懸賞にも応募した。日清カップヌードルも食べた、当たらなかった。コカ・コーラも飲んだ、当たらなかった。東芝パソコンも買った、当たらなかった。欲しくもないヒュンダイのディーラーにも行った、当たらなかった。必要のないフィリップスの車のバルブ(ヘッドライトの電球)も買った、当たった。


その日のことははっきり覚えている。仕事は休みで何もせず1人で家にいた。夕方4時ごろ郵便物が届いた。静かにパソコンか何かをしていたので、郵便物が玄関のポストに入れられた音が聞こえた。普段は聞こえないのに、なぜかその日はその音が聞こえた。玄関まで取りに行くと”PHILIPS”と書かれた普通の封筒があった。最初は分からなかったけれど、すぐにピンと来た。封筒を開ける手が震える。中に入っていた手紙を読むと、
『厳選なる抽選の結果、あなた様がご当選となりました。ご当選のチケットは……』
そこから先はもう文字が目に入ってこなかった。人生の中で、あそこまで大きなガッツポーズはしたことがないというくらい、1人しかいない家の中で心の底からの雄たけびとともにガッツポーズを繰り返した。


少し冷静になって手紙をよく読み直してみると、試合名が書いていない。ただ、送られてきた名前ではどの試合に申し込んだのか覚えていた。でも念のために書かれていた番号に電話をすると、記憶していた通り埼玉のベルギー戦だった。その後フィリップスから速達で試合名の記入された当選通知がもう一度来たけれど。
このキャンペーンは5,000円位のバルブを買うと日本戦3試合にのみ応募ができるものだったので、必要もないヘッドライトを3組も買った。ロシア戦は同居人の名前だが郵便物は届いていない。チェニジア戦は……実家の名前だ。思い出して、まさかとは思うが実家に電話する。
『フィリップスという会社から封筒届いていない?』
すると実家の家人は何も知らない人の普通の声で
『あるよ』
えっ、あるんだ。すぐに取りに行くからと言って電話を切ると、私は1人で小躍りをした。こうしてチェニジア戦も手に入った。開幕まで半月をきった、5月半ばの暑い日だった。


日本 2-2 ベルギー 18:00
もちろん会社は休んだ。朝から何をしても落ち着かない。日本代表はどんな試合をするのだろう。スタジアムには普段の代表戦とは違う人たちが来るはずだから、応援の声は出るのだろうか。途中で何かがあって、試合に間に合わなかったらどうしよう。何かなんてないけれど。こうして私は想像以上に早く家を出た。
この日はスタジアムに行くのに、さいたま新都心駅からのシャトルバスに乗るつもりだった。チケットが送られて来たときに、座席によって乗るシャトルバスの駅が指定されていたけれど、1試合行ってみてそんなことには意味がないことがわかっていたので、さいたま新都心駅に行った。


ここは北越谷駅とは違って、駅前の広場にテント村が出現していて、少しはお祭り気分が味わえた。さいたまスーパーアリーナでは、もうすでにパブリックビューイングに備えて建物の外にレプリカユニフォームを着て並んでいる人がたくさんいる。心の中で、『悪いね、チケット持ってるんだ』と思いつつかばんの中のチケットに手を触れる。
ここでこの先お世話になるチケットホルダーを買った。ビニールのちゃっちい600円のやつだけど、ワールドカップのチケットの大きさに合わせて作ってあって便利だった。普通の国内の試合のチケットホルダーでは大きさが合わなかったので、ここで買ったチケットホルダーはこの先とても重宝した。今も使っている。駅前に外人のダフ屋がいた。交渉している人がいたので、何気なく聞こえるくらいに近づいてみると、1枚5万円だった。安いと思ってしまった。


いてもたってもいられず、まだ早いけれどシャトルバスに乗ってスタジアムへ行く。地元で走りなれた道だけど、今日は特別に見える。スタジアムに着くと開場前にもかかわらず、かなりの人がいた。開場を待ち、席に着く。メインスタンドアッパーの41列、まるで天上界だ。ピッチの人間が豆粒に見える。普段なら文句も言いたくなる席だが、今日だけはスタジアムの中にいられることが奇蹟なので、何も言わない。2階41列の席でも嬉しい。


試合については書かない。でも、これだけは言える。前半はスタンドも日本代表の戦い方と同じでセイフティに抑えていた。でも、後半ベルギーに先制されて、鈴木のゴールで追いついた瞬間、スタジアムの中で何かが弾けた。何かが変わった。あの時スタジアムの中に充満していたエネルギーやパワーはうまく言葉にできない。鈴木のゴールで追いついてから、稲本の逆転弾、ベルギー同点、日本勝ち越し?、ベルギーあわやPK、そして試合終了のホイッスルが鳴るまでの30分間は生涯のスタジアム観戦の中でも最高の雰囲気だった。試合前に想像したとおり、いつもの応援の歌は声が出ないし、揃わない。でも”アイーダ”にあわせての声と、手拍子と、足を踏み鳴らす音が、スタジアム中から、5万人を超えた観衆から響き渡る。この時の一体感は最高だった。
そして試合は限りなく妥当な結果、2−2の引き分けだった。勝てなかった悔しさよりも、負けなくて心底ホッとしていた。疲れ果てていた。