ポール・マッカートニー ライブ イン ロシア

昨夜何気なくNHK-BSを見ていたら、『ポール・マッカートニー ライブ イン ロシア』という番組をやっていました。リアルタイムでビートルズを聴いていた世代ではありませんが、10代の頃は大好きだったんです。でも、だんだんと聴く機会がなくなっていましたが、やっぱりいいな、ビートルズ
ライブは2003年5月24日、ポール・マッカートニーがモスクワの「赤の広場」で行ったもののようですが、番組は演奏とロシアの人々のコメントで構成されています。現代の日本では考えられないことですが、当時のソ連ではビートルズの歌は禁止されていて表立っては聴けなかったけれど、本当はみんな聴いていて自由に憧れる気持ちがソ連崩壊の下地になっていったと語られておりました。番組の中でポールはゴルバチョフ氏やプーチン大統領とも会談し、プーチン大統領はライブにも姿をあらわしました。


ただ、そのような政治的背景よりも私はポールの演奏をまるで少年少女のように輝いた瞳で楽しんでいるロシアの人々に魅了されてしまいました。もちろん若い人もたくさんいたのですが、それよりも本当にいい大人が心の底から楽しんでいるのです。たぶん私と同じように10代の頃から大好きだったビートルズの曲を、時代が変わって、政治体制が変わってロシアで生演奏で聴ける喜びがみんなの表情にあふれているのです。


今の日本では、好きなアーティストの演奏はいくらチケットが手に入りにくくても、何とか見に行くことはできるし、海外のアーティストなら自分からその国に行って見ることもできますよね。恵まれている反面、赤の広場にいた人々のような新鮮な感動を味わうことは、今の日本にはもうないのかもしれません。
そういう私も好きなアーティストのライブには毎年行って、『去年の方が良かったね。』などと言ってしまうわけです。いろんなアーティストのライブを頑張れば見られる日本にいることを幸せに思いつつ、でも40年間待っていた時間を体験できるような無上の喜びは味わえないのかと思うと少し寂しい気もします。40年間好きだったアーティストの演奏を初めて生で聴く嬉しさは想像もつかない程の気持ちでしょうね。


オリンピックの話で言えば、今回のパラグアイのようにその国にとってすべての種目を通じての初のメダルだったら、取っただけで幸せでメダルの色なんて関係ないですよね。でも、金メダルじゃなければ喜べない人たちもいる。本当はどちらが幸せなのか少しわからなくなってきました。新聞やらネットのニュースなどでメダルの獲得個数などが書いてありますが、ライブで味わう気持ちではありませんが、オリンピックの競技を見ていて感じた気持ちの方がメダルの数や色より大事なのではないかなと感じています。
日本サッカーについて言えば、国際大会に出ることや勝つことに少しだけ慣れてきて、初心を忘れていないでしょうか。初めて国際大会に出るのなら、そしてその大会で初勝利を目指すのならもっと謙虚に取り組んでいたのではないか、そんな思いが頭をよぎります。


初めてポールのライブを聴いたロシアの人々の表情や、初めてメダルを取ったパラグアイの人々の想いを想像していたら、こんな取り止めのないことを考えてしまいました。