白か黒か

サポーターっていうのはそのクラブやチームに興味があって、応援する気持ちがあればみんなサポーターじゃないんですかね。
ゴール裏にいなきゃサポーターじゃない。立って歌を歌わなきゃサポーターじゃない。スタジアムに行かなきゃサポーターじゃない。テレビで試合を見なきゃサポーターじゃない。選手の名前を言えなきゃサポーターじゃない…
××じゃなきゃサポーターじゃない、と排他的な言葉を言っている時点でその人こそサポーターじゃないと思うんだけどな。


チームの勝利をサポートするのか、クラブの経営をサポートするのか、いろんな形でのクラブやサッカーに対する関わり方があっていいのではないでしょうか。例えばそのチームのことを何にも知らないけれど、ユニオームが格好良かったから興味を持ってくれた人や、選手が格好良かったから興味を持ってくれた人がいたとして、その人はチームやクラブに興味を持ってくれた時にサポーターの入口にいて、そんな人々を好意的に受け入れるのか、それとも排他的に締め出すのか。××じゃなきゃサポーターじゃない、という論理はどうも自分で自分たちのクラブの首を絞めているように感じるのです。


もちろんゴール裏で大きな声を出して選手を応援する人もサポーターのひとつの形、サイドスタンドで座って熱心に試合を見る人もサポーターのひとつの形、テレビの前で応援する人もサポーターのひとつの形、いろんな事情でテレビも見られないけれど結果だけ気にする人もサポーターのひとつの形。そのチームやクラブに興味を持ってくれるすべての人をサポーターとして受け入れられる心がないと、本当の意味でのそのチームやクラブのサポーターとは言えないのではないか、と考える次第です。


そのチームや、そのクラブや、サッカーが好きな人が喧々諤々、サッカーについて好きなことを語れるのが、サッカー文化の深さではないかと思っています。好きか嫌いか、合うか合わないか、できるかできないか、いろんな理由でその人のサッカーに関するかかわり方は変わってくるのでしょう。でも、みんなが自分のペースで、自分のリズムで、自分の好きなやり方でサッカーに関わりあっていく。
決して排他的な雰囲気が漂う世界ではない、自分のスタイルをみんな追求しつつ他者のスタイルを尊重できる、そんな世界がサッカーのまわりに広がれば良いと思っています。