バーレーン戦後 ジーコ監督会見

試合の見方、感じ方というのは違うし、その試合に対するゲームプランは監督にしかわからないのかもしれないけれど、あの前半はOKだったんですかね。

――前半、ほとんどシュートまでいかなかったのは、慎重な入り方を意識したからか。それとも、相手のカウンターを恐れて押し上げられなかったからか?

 バーレーンの守備が堅かったということだ。中央(のディフェンス)が相当に固く、きつかった。


――もっと早い時間で、玉田か柳沢に代えると思っていたが、交代が後半20分過ぎになったのはなぜか?

 あくまでも自分の試合状況の読み方による。例えば前半ほとんどシュートがなかったからといって、ほかの動きはどうかと判断する場合、相手にとってとても嫌な高原の動き――味方へのスペースを空ける、また自ら突っ込んでいく、そうした勢いによって相手は相当に守備がバタついていた。


―後半になってスペースができるといったが、早めのクロスを入れるようになったのは監督の指示か、それとも選手の判断か。また選手の気持ちを評価しているが、選手自身がやったことについて、気持ち以外に評価していることはあるか?

 まずスペースの問題だが、自分たちが前半のようなリズムで攻め続けられれば、必ずスペースができると思っていた。その選手たちの頑張りが、長短のサイドからも含めたパスになって出てきた。

ジーコ監督にとって前半の戦いは”想定の範囲内”ということで、日本が悪いとは感じていなかったということでしょうか。記者会見用のコメントかとも考えましたが、悪いと思っていればハーフタイムで何か変化をつけてくるだろうし、悪いとは思ってなかったのでしょうね。


前半の膠着状態を指してバーレーンの守備が固かった”と見えているという部分、本当に自分のチームの分析ができているのだろうかという不安が大きいです。
会見の中で触れている言葉に精神論が多いのも非常に気になります。具体的な改善策や修正点は見えていないのかも、そう思ってしまいます。ロジカルな考え方だけで勝てるほどワールドカップ予選は甘くないというのも分かりますが、精神論だけで勝てるほどにも甘くないでしょう。論理的な部分と精神的な部分、組織的な動きと個のひらめき、このように一見相反するようなものが高次元でバランスが取れたときに強いチーム、見ている人間の心を打つチームができあがるのではないかと思っています。


1年前の2月18日のオマーン戦と昨夜のバーレーン戦を比べたときに1年以上の時間が経過して改善された部分はあるのですかね。いろいろと考えるのですが、思いつかないのです。ロスタイムの決勝点とオウンゴールによる決勝点、自分たちで決めた得点でなくなった分退化しているのではとすら思います。
メディアや協会は『予選は甘くない、予選は厳しい』と繰り返し言うけれど、このチームが本当に残酷なまでの予選の運命と対峙したときに切り抜けられる力を持っているのかが非常に疑問です。口先では厳しいと言いつつ、運命の女神にとても甘やかされてるように感じてしまう。最後の最後にイラン戦で本当の厳しさを見せ付けられなければいいのですけれど、6月のアウェイ2連戦のうちに決めたいですね。