JR尼崎駅、1秒単位で遅れ報告 「負担過酷」指摘も 朝日新聞

今回の事故が単純な1つのミスや要因によるものではなくて、様々な要素が不幸にも重なった結果なのだろうとは思います。その中で運転手の技量の問題や、安全運行と自己保身のどちらがより大切な要素かを判断する精神的成熟度の問題もあるのでしょう。でも、その運転手に資格を与え列車の運転を任せているのも会社であり、その上このようなプレッシャーを掛けているのかと考えると、言葉を失います。

JR西日本は、兵庫県尼崎市で起きたJR宝塚線脱線事故前、1秒単位で電車の遅延状況をつかむ調査を行っていた。

 学校の始業式があった今月8日からの1週間、兵庫県尼崎市の尼崎駅では、朝夕のラッシュ時に発着する列車の運転士が出発時間を1秒単位で自主報告した。

 日常的に遅れが目立つ列車の改善のため、JR西日本が02年から主要駅で始めた取り組みだ。同社は対象列車を「要注意列車」と名付け、年5回程度実施している。

1秒の遅れでも問題視される状況の中で、1分半の遅れがどれほど運転手個人に精神的に負担をかけていたのでしょう。オーバーランをしたのは運転手個人の技量の問題であり責任ですが、ミスを取り戻そうとする意識やミスを隠そうとする意識は運転手個人の精神的未熟さかもしれませんが、安全運行の確保を運転手個人の成熟度とモラルだけに頼っていて良いのでしょうか。例え列車が贈れて自分の評価が悪くなったり処罰を受けたりするとしても、安全運転を優先し、安全の確保を最大限優先する。確かに”人の命を預かる立場にあるのなら、そうあるべき”だとは思うのですが、それをバックアップする風土が会社の中にあるのかどうか。会社の考え方や優先順位が安全の確保より利益の確保に向いていなかったのかどうか。


JR西日本が公共交通機関であることは確かですが、それでもただの民間企業であり、競合他社との競争に勝たなければ生き残れない普通の会社であることも分かります。
ですが、利益の確保と安全運行のどちらを優先するのか、万が一何かがあったときに、利益の優先を追及していたようで実は不利益な将来を自ら招いてしまっているのではないか、そんな疑問がぬぐえません。


交通機関や病院、製薬会社や食品会社、自動車などの製造会社も同じですが人の命や身体の安全に直接かかわるような民間企業のモラルと利益追求のバランスが崩れているのでしょうか。