市井の書き手の旺盛なモチベーションの源泉とは…

サッカー批評 (Issue27(2005)) (双葉社スーパームック)
サッカー批評 27号(6月10日発売)の中に、宇都宮徹壱さんの「サッカーブログを覗いてみる」という文章があります。その中で何人かのネット界の方々にインタビューされていますが、根源的な疑問として、『市井の書き手の旺盛なモチベーションの源泉とは、一体何なのだろう。』というつぶやきがあります。
何なのでしょうね。


私も毎日このような駄文を書いていますが、このような文章を書いたからといって、世の中を動かせるとか、誰かや何かに影響を与えられるとか思ったことはありません。そもそもそんな文章じゃないし、このような駄文を読んでくれる方がいるだけで幸せなくらいです。
サッカーは好きです、見るのもやるのも語るのも。そう、このようにブログにサッカーを書くのは、語る欲望の代わりなのではないかと思っています。埼玉県に住んでますから、実生活の中でもサッカーを見る機会も多いし、サッカーについて語る機会も多いし、する機会も多少はあります。でも、サッカーについて語るといっても、「浦和勝ったね。」とか、「大宮勝ったね。」とか、「日本代表勝ったね。」とか、そんな表層的な会話ですよね。


もともと仕事場でサッカーについて1時間も2時間も熱く語るわけにもいかないし、そもそも多少面倒くさい気がする場面もありますよね。話す相手とお互いのサッカー観やサッカー用語について理解できていればいいのですが、勝敗の話以上の部分に踏み込んでいったときに、「昨日のDFラインは深くてどうしようもなかったね、やっぱりフラットでコンパクトなサッカーが見たいよね。」という会話をする前に、『DFラインが深いことによるメリットとデメリット』とか、『フラットラインDFのメリットとデメリット』とか、『コンパクトなサッカーの…』というような前提から話すのは面倒だという気持ちも少しあります。


それに対し、このようなブログなら読まれる方も自由に好みのブログの取捨選択ができるので、書いている内容について同意でも反論でもいいのですが、そもそもの用語については理解している方が読まれているでしょうし、長く読んでいただいていれば”筆者がどのようなサッカーを好んでいるか”も理解してくれたうえで読んでくれているのではないかと思えるのです。
行ったことはありませんが、バルセロナの街にあるサッカーバーなら、バルセロナ好きの方とエスパニョール好きの方は、必ず違うバーに集まりますよね。このようなブログでも、例えば”戦術が好きだ”という人と、”選手個人が好きだ”という人は、自ずと違うブログを覗いているのではないでしょうか。


実生活の中で非常にサッカー観の合う方が多数身近にいて、毎晩のように近くのバーで飲みながら会話を楽しんでいたら、このように毎日文章を書くことなどなかったかもしれません。そういう意味では友達が少ないから、このようなブログを書いているのかも(笑)。
冗談はともかくとして、私の場合のサッカーを書くモチベーションの源泉は、『サッカーが語りたくなるスポーツだから』ということでしょうか。