監督は何をもって評価されるべきか

まだこんな視点でしか監督を評価できない人がいるのかと思うとぞっとします。


ジーコの真剣 <ブラジル代表監督になるため、なのか> ニッカン  後藤新弥さん


これがスポーツライターの書く文章なのですかね。例えばこれを選手に置き換えたときに、『目立ちたがりやの戦手よりも、正直な選手が評価される』と言っているのと同じことではないのでしょうか。
ボランティアなら話は別なのですが、少なくとも数千万から数億の報酬を貰っているプロの監督について書くときに、このような印象で評価することが普通なのですかね。
結果と内容だけを切り取って見ることが、あなたたちスポーツライターの仕事なのではないでしょうか。その監督の仕事の中で監督のパーソナルティが結果に影響することはあっても、監督のパーソナリティが評価に影響するなんてことが、後藤新弥さんのように、スポーツ新聞とはいえコラムを書く人のレベルで起ってもいいことなのでしょうか。


プロ監督の仕事は、結果と残した功績で正当に評価しましょうよ。彼がいた4年間で日本はどれだけのタイトルを獲得し、彼が指導した選手にどのような影響を与えたのか。そして彼の戦術で日本は何を学んだのか。
もちろんジーコ監督からも学ぶべきことはあり、それはそれで監督が正直な人だからというレベルで評価されるようなことではありません。
何だか、久しぶりにレベルの低い文章を読んでしまったように思い、残念です。