洗練されたチームとは

”絶対に負けられない戦い”がもうすぐですね。グループリーグは勝ち点計算が成り立つ試合ですから、ある意味負けでも引き分けでもオッケーな試合もありますが、決勝トーナメントに進んだら、勝つ以外の結果は、結果だけを考えると限りなく価値の少ないものになってしまいますね。ワールドユース組は、次のモロッコ戦こそ初めて勝たなければいけない試合になりました。コンフェデ組はまだグループリーグですが、他国との勝ち点計算の結果、グループリーグ3試合目にもかかわらず、やはり勝たなければならない決勝トーナメントと同じ状況の試合になってしまいました。


どちらのチームも大事な僕達の日本代表ですから、勝って1試合でも先に進んで欲しいし、できることなら優勝して欲しい。でも、勝負は時の運もありますから、負けることもあるでしょう。このような世界大会の中で、日本という国のサッカーを世界中の国々に知らしめる為には優勝という結果が一番でしょうが、例え優勝できなかったとしても他国の人々に強く印象を残し、アピールすることもできると思うのです。それがどんな時なのかを考えたのですが、一言で言うと『洗練されたサッカー』を見せられた時だと考えるのです。


『洗練されたサッカー』の意味ですが、決してヒールパスが連発するようなお洒落なサッカーという意味ではありません。その国がどんなサッカーを目指そうとして実際にピッチ上でプレーしているのか。それが説明などしなくても観客に伝わるサッカーであること。そしてその目指すべきサッカーが、その国の選手たちの持つ特徴にマッチしていること。最後に、美しいこと。


例えばトップに背の高い選手が1人いたとして、それ以外の選手はそこを目指してクロスを供給し続け、誰かがこぼれ球を狙い続けるサッカー。たぶんこんなサッカーはスタンドで見ていればどんなサッカーを目指そうとしているか一目瞭然ですが、人々の記憶にはあまり残らないと思うのです。


日本人選手の世界に誇れる特徴って何なのでしょうね。背の高さではないですよね。ロングパスの精度でもないでしょう。トリッキーな足元の技術でもない。
私が思うのは、勤勉に最後まで走り回り、プレーのリズムが早く、ショートパスを多用する。その結果、攻撃には人数が必要となり、守備でも勤勉な運動量から人数をかけて守る。
相手選手とのボディコンタクトは苦手だし、ラフプレーは似合わないですよね。クリーンでフェアなプレーを心がけるというのが、日本らしい。


こんなサッカーを毎試合続けられたら、例え運悪く優勝できなかったとしても観客が日本のリズミカルなパスまわしに”オーレ”と叫び、日本の早いパスまわしの攻撃からのシュートに喝采をあげる。
日本が優勝してカップを高々と掲げる場面か、それがダメなら試合を続けるうちに観客が日本サッカーの虜になる場面、このどちらかを世界大会で見たいなぁ。
もちろんこの2つが様々な意味で相反する結果を出す可能性も分かっています。勝つためにはクリーンなプレーだけでは勝てないかもしれないし、美しさを捨てて勝つことだけに執着する現実的なサッカーを繰り広げなければいけない場面もあるでしょう。でも、それでも日本選手の特徴を生かしたサッカーをできるだけ心がけて欲しいのですよね。


ユース代表がグループリーグ3試合で展開したサッカーは、試合全体を考えた時に”これが日本のサッカーだ。これが日本人選手の特徴だ。”というものを観客にアピールできたのでしょうか。局面では日本人選手の長所があらわれた場面もあったと思いますが、試合全体を見てチームとして目指しているサッカーは見ている人に伝わったのか。
フル代表はまだ2試合ですが、2試合を通じて共通したアピールというのはあったのか。もちろん試合は相手があるものですから、力関係によっては目指すものが実現できないこともあるでしょう。でも、それを考えても試合の中で日本人選手の特徴が生かされていたのか。


フル代表のギリシャ戦のようなボール回しが、たぶん日本人の特徴を最大限生かしたサッカーなのだろうと思います。では、ユースチームはそのようなサッカーを目指しているのか。
今回のコンフェデにもしオランダ代表が出場していたら、ワールドユースでのオランダの試合とコンフェデでのオランダの試合を見比べてみたかったですよね。実現できているレベルは違うかもしれませんが、目指すべきサッカーがどれくらい近いのか。
現在のユース日本代表とフル代表の中で、共通したコンセプトなり特徴は見出せるのか。ユース代表の決勝トーナメント進出も嬉しいし、フル代表のギリシャ戦勝利も嬉しいのですが、日本という国のサッカー力の底上げは実現できているのか、日本という国がサッカーが強くなる為には、日本人選手のどんな特徴を生かし、どのようなチームを目指していて、それがピッチ上に実現できているのか。そんなことを考えると現時点での結果には非常に寂しいものがあります。


ただ、それらの問題の原因は現場の選手や監督の問題ではなくて、日本サッカーをどのような方向に導きたいのかというレベルでの協会の問題だとは思ってますけれどね。監督を選ぶ前に自国のサッカーの進むべき道を充分検討し、それを実現できそうな監督を招聘しているのかどうか。
実際の試合に出場する選手には頑張って欲しいけれど、それ以上に会長をはじめとした日本サッカー協会の代表にかかわる部門の方には、もっともっと頑張って欲しい。肉体には日本人の限界があるけれど、思考することなら日本人の限界を超えられるでしょ。『上が決めたから』とか、『騒ぎを起こしたくないから』とかいう日本人的発想の限界を捨てて、日本サッカーの未来のために頑張って欲しいと強く願います。


洗練されたチームというのは、協会の頑張りと、目指すべきサッカーの実現にマッチした監督と、日本人選手の特徴が見事にうまく”はまった”ときにあらわれる蜃気楼のようなチームなのかもしれませんね。たぶん、1998年と2000年のフランス代表は、そのような条件がかなり高い確率でマッチしたチームだったのではないでしょうか。
世界大会の優勝とは言わないけれど、日本代表でもそんなチームを見たいですね。