オシム監督の言葉は…

オシム監督試合後のコメント 千葉公式
何とも考えさせられる言葉ですね。

Q練習試合とは違い、阿部がボランチで中島がリベロだったが。
A練習試合でその布陣を組んだのは相手をあざむくためにやった。イリアン(ストヤノフ)がいないということで、ディフェンスに阿部を入れ、中盤に中島を入れたら、2つのポジションで選手を代えることになる。代表から阿部が戻ってきて、イリアンの代わりに中島をリベロに入れれば、ポジションの変更は1つだけ。あまりポジションを変えたくなかった。

Q判定についてはいかがですか?
A審判は審判が思ったように吹いたのでは? 私が話すことはない。


このような言葉以外にも、千葉のサッカーにはオシム監督の考え方が様々に影響を与えているのでしょう。考えて判断して走るサッカー。リスクを恐れず前に上がるサッカー。現在千葉が展開しているサッカースタイルは、Jの他のクラブに比べて、非常に特徴的ですよね。
ピッチ上でプレーをするのは選手ですが、その中で監督の存在はどれほどプレー内容や結果に影響してくるのでしょうね。ヴェルディも現在その渦中ですがチームが低迷するなかで監督交代の話が出てくると、『試合をするのは選手なのだから、監督の責任はそこまで重くない』というような考え方も見かけます。でも、今現在千葉の選手がピッチ上に実現できているサッカーは、例えば何らかの事情でオシム監督がいなくなってしまったとしても持続できるものなのでしょうか。
仮に選手は現在のメンバーと一切変わらないと仮定して、そしてその選手たちは自分たちのやるべき仕事を理解している。目指すべき理想の姿も共通認識している。このような条件の中でオシム監督がいなくなったときに、1ヵ月後でも2ヵ月後でも、現在と同じクオリティの内容を維持できるのかな、と時々思うのです。


1回ピッチ上で理想のサッカーを実現できた後で、様々なトレーニングや苦戦した試合を経験していい試合を実現した後で、監督がいなくなってもその理想のサッカーは継続して再現できるのか。サッカーチームにとって好調を維持するというのは非常に難しいものだと思うし、一度できたからいつでも再現できるものではないと思うのです。もちろん対戦相手の戦い方も違うでしょう。仮に同じ相手と試合をしたとしても、やはり再現できないのではないかと思います。
良い試合をしたとしても、監督は更なるレベルアップを目指してトレーニングを重ね、それでようやく現状維持というところではないでしょうか。一人ひとりの選手が”オシムイズム”なるものを理解会得したとしても、それを常に勝利という方向にまとめ、対戦相手とのバランスをとり、崩れたところは修正し、より良い方向にチームを導く。
オシム監督がJリーグのチームを率いてくれている幸運をもう少し感謝しなければいけないのではないか、何故かは分かりませんがそんなことを感じました。