現日本代表の「自分たちのサッカー」は何でしょうね。

ウクライナ戦から1週間が経過しましたが、自分の中で消化できていない疑問があります。
ジーコさんが日本代表監督に就任して3年の月日が経過しましたが、未だに監督が口にする「自分たちのサッカー」というのが良く分かりません。フォーメーションとかのレベルの話ではなくて、ジーコさんは日本代表チームにどんなサッカーをやらせたい、という理想とかイメージはあるのでしょうか。


2002年6月の雨の宮城スタジアム、日本代表はトルコを相手に何とも割り切れない0−1という敗戦で冒険の旅の幕を閉じました。それから3年、相手は違うとは言え雨のキエフナショナルスタジアムでウクライナを相手に0−1で同じように敗戦しました。後半の途中で1人退場になるという展開はありましたが、雨の宮城から3年が経過して、日本代表に進化はあったのでしょうか。
試合に負けることは、ある意味しょうがない。世界ランク1位の国だって、全ての試合を全勝するわけでもないですから。でも、先日のウクライナ戦で、相手GKのスタルツェフ選手が何度慌てる場面があったのか。相手GKが横っ飛びをしてセーブする場面を見たか。3年前も同じです。トルコのGKのリュストゥ選手が慌てた場面は何度あったか。横っ飛びした場面は見たか。試合開始早々に失点した試合と、最後まで無得点で展開した試合の違いはありますが、どうにも心の中で比べてしまうのです。


ジーコ監督の言う「自分たちのサッカー」を解釈するのなら、攻撃的にいくサッカーということなのでしょうか。先日のホンジェラス戦の失点に触れられた時も、攻撃的にいくんだと語っていた印象があります。ボールポゼッションというのは、あくまで攻撃的にいくための手段であって目的ではないのですよね。簡単に攻撃を仕掛けてマイボールを失うくらいなら、じっくりボールを動かして敵の守備の薄いところを突いていけ。そのためのボールポゼッションと理解しています。


で、ここまで考えてきた時に、では攻撃的にいきたくても、相手の力が自分たちを上回っている時は、どうするのが自分たちのサッカーなのだろうということです。力関係で押し込まれてしまうのはしょうがない。アルゼンチンやイングランドチェコウクライナと試合をすれば、好むと好まざるとに関わらず自陣のペナルティエリア周辺に押し込まれるでしょう。そんな試合の中での自分たちのサッカーとは何なのだろう。守って守ってカウンター1本でチャンスをモノにして試合に勝つ。これが自分たちのサッカーなのか?


その国の代表が集まって他国と試合をする以上、大前提になるのは試合に勝つことだと思います。そのためには、多少自分たちのスタイルを捨ててまで現実的な試合、リアリティをもった試合を展開しなければならないことは分かります。
でも、ジーコ監督は試合前の会見では常に「相手に合わせたサッカーはしない、自分たちのサッカーをしたい」という趣旨の会見をされていますよね。ところが現実の試合では、毎試合違うことが起きている。2004年の初頭、アジア一次予選に合流した中田英選手が、「このチームはボールの獲りどころが決っていない」と話していましたが、ではそれから1年半が経過して厳しい試合をくぐりぬけてきた現在のチームでは、ボールの獲りどころやカバーリングの連携など、進歩しているのでしょうか。今回の欧州遠征では日程の関係で全ての選手が参加できなかったというエクスキューズもありますが、中盤から前の選手はほぼベストメンバーと言ってもいいでしょうし、DFの選手だってファーストチョイスの選手ではないにしても、いつも代表に帯同しているセカンドチョイスの選手たちですから、少なくとも箕輪選手以外は急造DFラインとも言い切れない。その中で、3年前の宮城での試合からの進歩はあったのか。


ワールドカップの本大会に向けた強化の方法として、目標から逆算する方法と、自分たちのやり方をつらぬく方法があるとは思っています。
グループリーグを突破するためには、対戦する3カ国のうち自分たちと同等若しくは格下の相手は1ヶ国だけで、残りの2ヶ国は格上になる確率が高い。その時には押し込まれる展開が続くだろうから、自分たちのスタイルは捨ててでも守って凌いでカウンターを狙って、一刺しで勝ち上がっていこう。このように考えるのは分かります。
または相手との力関係などは一切考えず、自分たちのサッカーのやり方をつらぬいて、勝っても負けても納得して大会を去っていくやり方。バルデラマ選手のいたころのコロンビアのイメージです。俺たちは俺たちのサッカーで勝ちにいく。相手によって戦い方を変えたりしない。その結果は潔く受け入れる、みたいにある意味割り切ったサッカーですね。これも分かります。


でも、現在の日本代表が展開しているサッカーは、このどちらでもないように感じています。自分たちのサッカーを貫くほどの決意も力もないし、かといって勝ちにいく為に自分たちのスタイルを捨ててまで勝負にこだわっているわけでもない。相手に合わせたサッカーをしないと言いながら、常に受身で試合を戦っているイメージです。
予選というアジア相手の負けられない試合が続いた後に、本大会モードに切り替えの最中なんだということもあるかもしれません。でも、3年間見続けてきて、そう考えるよりは、行き当たりばったりの試合がずっと続いているだけなんじゃないのかという不安も捨て切れません。その中で、選手たちは混乱していく。残りの強化試合の少なさを考えると、この先に劇的なチームの変化が待っているとも考えにくい。で、最初の疑問に戻るのです。ジーコ監督の考えている「自分たちのサッカー」とは、何なのだろうって。