ヒデメールのさらにその後の感想

昨夜は調べ物があってJBアンテナを見ていたのです。そこにリンクされている何人かの方のBlogを読んでいるうちに、「みんな、凄いな。それぞれの視点でしっかりした考えを述べているし、構成や写真も綺麗だし。何だか、自分なんか書かなくてもいいかな…」とか思い始めてしまいました。でも、自分でもこのようなBlogを書いていて、書きたくてしょうがないことや、強く疑問に思っていること、そんな気持ちを抑えられない時は、「自分なんかが書かなくても…」なんていうしおらしいことは一切考えずに、思うことを感じるままに書くわけです。自分の中に情熱があったら、書かなくてもいいかな…なんて考える暇もない。考える前に、指が動いてますよね。でも、昨夜はそんなことを考えてしまった。今週のミッドウィークには欧州CLもあったりとか、サッカーファンには見逃せない試合もあるわけですが、現在はJで応援するチームが崖っぷちなので、とてもじゃないが欧州のサッカーまで見る気力はない。そんな感情の時に他の方々のしっかりした文章を読んでしまったら、「もう、書かなくてもいいかな」とか思ってしまったわけです。


ここまでが長い前振りなのですが、そんな自分の気持ちの中でもう一度あのヒデメールを考えると、あそこに書いてあることは中田選手が見ているまわりのことではなくて、実は自分自身の心理状態を見てしまっているのではないかということです。つい先日もDVDで『六月の勝利の歌を忘れない』を見たのですが、チェニジア戦だったかな、ハーフタイムにロッカールームに戻ってくるなり中田英選手が中田浩二選手にかなり強い口調で文句を言っていました。でも、今回のヒデメールを読んでから見ていたので、それは中田浩二選手のプレーへの不満というよりは、そこまで自分自身の中で盛り上がっている中田英選手の心理状態のあらわれとも取れるわけです。
毎試合不満のない試合などはないわけで、特に現在の日本代表チームに関しては、予選を通じて不満の固まりだったことでしょう。でも、予選の最中は予選突破という目標に対してまっすぐに突き進んできた。コンフェデの時は代表の結果と言うよりは自身の移籍の為にも結果を残さなければいけなかった。それぞれの試合での思いは、中田英選手の情熱と共に、チームメイトに向かって投げつけられた。
でも、現在の時期の代表チームで中田英選手がプレーすることの意義は、何だろう…。そんな状態の中田英選手の口から、はたして情熱的な言葉は出てくるのだろうか。


2002年のワールドカップが終了した時に、かなり本気で代表引退も考えたようですし、2005年の現在、中田英選手自身の置かれている状況も、すでに自身のキャリアアップを強く意識した状況ではなくなっているのではないかと思います。年齢的にもまだまだですし、中田選手の性格を考えてもサッカーに対する向上心がなくなることはないでしょう。これからもサッカーを深く追求していくのだと思います。でもそれはどちらかというと「サッカーを楽しむ」為のものであって、「自分のキャリアアップ」の為ではないのだろうと想像しています。イタリアからイングランドへの移籍についても、キャリアアップというよりはサッカーを楽しみたいという気持ちの方が強いし現実にもそうなのでしょう。


自身のキャリアアップを考えている選手なら、代表でのプレーはとても重要だし、たとえチームが不甲斐なくともまわりの選手に向かって怒気を含んでも指示するでしょう。また、キャリアアップに関係がなくても、その試合の持つ意味がとても重要なら、やはり同じようにするのでしょう。2002年の中田英選手のように、今回のアジア予選での中田英選手のように。
でも、本大会まであと半年となった段階の日本代表に参加して燃えていない(ように中田選手が感じる)まわりに混じって、自分自身も燃えていないことに気がついてしまった。そんな風に捉えるのが正しいのではないかと思うようになりました。
本大会まであと半年、実際に近くなれば中田選手もまわりも燃え上がると信じたいですけどね。