豪雪報道によせて

昨日書いたこのエントリーの続きのようなものですが、昨日書いたときには様々な思いをうまくまとめられなかったので、続きを書きます。
いつも楽しみに読んでいる発汗さんのこちらのエントリーにもありますが、山間部の過疎化が進んでいる集落に、平野部や太平洋側の非豪雪地帯からボランティアが送り込めないものだろうかということは、私も番組を見ながら思っていました。ただ、実際に現在そのような事が行われておらず(雪下ろしボランティアが存在していることは知っていますが、現実的に雪下ろしの手が山間部で足りていないのは事実)、そうしているうちにも日々お年寄りの1人暮らしの家屋の屋根には雪が積もる。地方特有の現象とは言え、市町村などの末端の自治体や都道府県などの地方自治体レベルで解決する問題ではないのではないか、そんな気がしてなりません。どこがやるべき問題かを議論しているうちにさらに雪が降り、屋根の雪は重くなる。家が潰れてしまう前に、日本という国として国民を守る、そんな状況まで話は深刻化しているように感じてしまったのです。

除雪:あまりの重さ、ボランティアも無理 新潟・山形 毎日新聞


その方法としては国の政策として自衛隊災害派遣してもいいし、今現在不幸にして失業してしまっている人々を国が雇って雪下ろし部隊として雪国の山間部に派遣してもいい。昨夜の番組の中で市町村が市町村の予算を使って近隣の建設会社に雪下ろしを依頼する場面もありましたが、豪雪地帯や雪国だけで問題を解決しろというには国としてはあまりにも無策なのではないかと感じてしまうのです。税金の使い道の公平性や公共性の原則に反する行為になるのかもしれませんが、潰れかけている金融機関につぎ込む公的資金よりは、雪下ろしも出来ずにきしむ家屋で倒壊の恐怖に怯えながら暮らすお年寄りのために税金をつぎ込んで欲しい。


本来はそのような施策として国が動かなくても、家族の中で、地域の中で、人が人を助けるという根源的な本能の中で解決すべき問題なのだろうと思います。年老いた親の面倒をみるのは子としての当然の務めであり、地域のお年寄りを敬い助けるのは人間としての当たり前の行為だとは思います。でも、現実としてそのような事がうまくまわっていないし、日本人の誰もが自然にそのようにお年寄りや困っている人を助けられる心を持っているのなら、電車の中にわざわざシルバーシートなどを設置しなくてもいいわけです。目の前にお年寄りや具合の悪そうな人がたっていたら、何所の席であれ席を譲ればいいのですから。
そのような気持ちを日本人がいつからなぜ失ってしまったのかは置いておきますが、現在山間部で困っている人々が多数いるのは事実です。何とかならないものだろうか。自分にできることは何なのだろうと考えてしまいます。