クロアチア戦とロシア戦を見直した雑感

突然思い立って世間がトリノ五輪で盛り上がっている最中に、1998年6月のクロアチア戦と、2002年6月のロシア戦を見直してみました。普段はいくら過去を振り返ってみても、その時のチームが現実に再現されるわけではないので、今のチームを見ていこうというスタンスでいるのですが、あらためて立て続けに4年ずつ時間を飛ばして見てみると、思った以上に感じることがありました。


最初は守備の話。
まずは1998年のクロアチア戦の日本ですが、今の日本サッカーの水準では信じられないほどのDF間のパスミスがあったのですね。もちろん当時もリアルタイムでその試合を見ていたわけですが、当時は攻撃が惜しかった記憶だけで守備陣の横パスのミスやクリアミスの記憶が薄いので、当時の日本代表のプレーの基準から見ればよくあることだったのでしょうか。「井原選手=アジアの壁」みたいな表現もありましたが、結構致命的なミスをしてますよね。一つ前の世代になる柱谷哲二選手がミスの多い選手だったことは強烈に覚えているのですが。幸いにもクロアチアにそのミスから得点を奪われることがなかったので結果としては残っていませんが、日本に勝つチャンスもあった試合ですが、前半で0−3で負けていてもおかしくない試合でした。
記憶というものが自分に都合よく美化されるものなのか、それとも当時の日本代表はいつもあのような試合だったのか。同時代の他の試合も多数見直してみれば良いのですが、さすがにそこまで体力ないし(笑)。


次に2002年のロシア戦ですが、これも4年経って落ち着いて試合を見直してみると意外な点が多かったです。まずはフラットラインが注目されていた3バックですが、大切な本番であるワールドカップであんなにもディフェンダーである松田選手が前線に上がっていっていたのか。1回や2回ではなく、流れの中で6回も7回も上がっていますよね。一度などは相手GKと1対1になる状況にまで上がっていました。結局パスは出ませんでしたが。中田浩二選手も前半に一度、相手のゴールライン際をえぐってますし、稲本選手の得点は中田浩二選手のアーリクロスからでした。稲本選手がFWを追い越してあの位置にいることができた理由として、3バックの一角である中田浩二選手が高く押し上げてきてくれるから押し出されるように上がれると言うこともあると思います。稲本選手が上がっていっちゃうから、中田浩二選手が仕方なく上がっているのかもしれませんが。
宮本選手ですらインターセプトの流れから相手ペナルティエリア付近まで走りこんでいますし、思った以上に攻撃時には流動的に選手が動いてますよね。余談ですが、宮本選手は自分にボールが出なかったらさっさと後ろに帰りましたが、松田選手は未練たらたらでなかなか帰らないように思えたのはイメージの刷り込みのなせる業でしょうか(笑)。


続いて中盤の話。
1998年の中盤中央は名波選手と山口選手が下がり目で、中田英選手が上がり目のイメージでしょうね。攻撃になったときにこの3人のトライアングルは綺麗ですね。名波選手からビューティフルなパスが出るのはもちろんのこと、山口選手からも大きな展開が出来るし、中田英選手は中山選手に必殺のスルーパスを通してるし。中田英選手が時折右サイドに流れ、名波選手が左サイドに流れ、中央を山口選手が上がってきてミドルシュートを狙う。得点こそ決まりませんでしたが、攻撃のバランスが非常にとれた中盤だと思いました。
がしかし、守備面ではやはり物足りなかった。山口選手や名波選手も守備に貢献していますが、クロアチアの選手が2列目以降から走りこんできたときに捕まえきれずに行かせてしまう場面が結構ありました。失点の場面も日本から見て左サイドをフリーに近い形で突破された時点で勝負ありという形でした。


一方2002年のボランチは戸田選手と稲本選手。稲本選手の得点が目立ちますが、実は守備の場面で稲本選手も戸田選手もロシアの走りこんでくる選手に対して、最後まで並走して自由にプレーをさせていません。一度戸田選手のプレーで限りなくPKに近い場面がありましたが、相手を自由にはさせないという強い気持ちは感じました。右サイドの明神選手も含めて、攻撃参加と守備意識のバランスの非常に取れた中盤でした。
4年前と同じポジションに入っていた中田英選手は、凄みが増していました。パスで味方を生かそうとするのは相変わらずなのですが、4年前には自分で打たなかったであろう場面でもシュートを狙う。大会の間の4年間をイタリアでプレーした結果なのか中田自身の精神的変化なのか、おそらくそれが密接に絡み合った結果だとは思うのですが、成長という言葉では表せない凄みのようなものを感じました。

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諸行無常 B/R life -有閑東京倶楽部(工事中)さん