大事故から1年が経過して

「サッカーのある幸せ」というタイトルでダイアリーを書いている以上、できるだけサッカーに関するエントリーを中心にしようと注意しているのですが、JR西日本で起きた大事故から1年が経過した今、自分の考えていることをまとめる意味でも少しだけ書いてみたいと思います。サッカーの記事ではないので、興味のない方はどうぞスルーしてください。





ここから書くことは特にJR西日本という単独の企業のことではなく、日本政府だったりアメリカ政府だったり、時には日本サッカー協会かもしれないけれど、個人ではなく何らかの集団に対する一般論ということでご了解下さい。”社会派”ぶる気もなく、”正義”や”大義”を振りかざすのも柄じゃないけれど、それでもあえて書いてみます。


あの大事故から1年という時間が経過して、昨日はニュースや特別番組でその後の模様が取り上げられました。それらの番組を見ながら思ったことなのですが、人間社会の中でいつから命や安全ということよりも利益や権益というものが優先されるようになってしまったのでしょうね。
遺族を代表する言葉の中で、「電車というものはお客や利益を乗せて走っているのではなく、命を乗せて走っているのだということを自覚して欲しい」というような声がありました。これは鉄道だけに限るものではなく、飛行機も自動車も大きな意味ではそれらの車両などを作っているメーカーもそうですね。そしてBSE問題に代表される食の問題。人間の食べるものや服用する薬や健康食品なども人間の体に直接影響を与えるものですね。建造物の耐震強度の偽装問題も根は同じなのかもしれません。


乗客の安全よりも企業の利益優先。国民の安全よりも政治的パワーバランス優先。住民の安全よりも自分たちの利益優先。
今の世の中、無駄なコスト削減は当たり前のことだろうけれど、それは安全に対するマージンを削ってでも行うことではない。たぶん、一人一人の人間なら、それは分かっているはず。中にはそのような感覚が麻痺している人もいるかもしれないけれど、最初から持ち合わせていないというよりは、企業や政府や大きな組織だったり集団に所属するうちに麻痺してしまうものなのではないかと思うのです。


例えば自分の作った何かを、顔見知りの相手である誰かが使うとなったら、安全でないものを渡したり食べさせたりする人はいないのではないか。でも、それが大きな集団の中に巻き込まれてしまい、使う人や食べる人の顔が見えなくなってしまうと、そのような安全を確保する気持ちが麻痺してしまったり、自分だけの責任ではなく責任が分散されることで会社のせいや社会のせいにして自分の良心に蓋をしてしまう。
会社の利益を背負っているのだから、このくらいの危険はしょうがないとか、国民の利益を背負っているのだから、このくらいの犠牲は許されるだろうとか。どこかの国の人が「アメリカ産の牛を食べてBSEに感染する確率は、交通事故に遭う確率より低い」とか馬鹿なことを言っていましたが、それなら自分で食べるか、自分の家族に食べさせるか、アメリカ人全員が2倍牛肉を食べればいい。国の利益を代表しているのだから、俺の言うことは正しいという感覚で安全の基本が麻痺してしまっているとしか思えない。


世の中には究極の選択と言うのはあるのかもしれません。例えば治療できない病気の発生がどこかのエリアで確認された時に、被害を最小限に食い止める為そのエリアを封鎖して感染の広がりを防ぐ。ここまではそんなに難しい決断ではない。でも、そこから先の判断として、そのエリアに医者を送り込んでも治す方法がないし、そのエリアから患者を運び出しても治す方法がない。そればかりか人が移動すれば封鎖して感染の広がりを抑えることすらできなくなってしまう。このような究極の選択があった場合、政治的指導者は小を捨てて大の命や安全を守らなければならない決断をする必要もあるでしょう。
でも、企業の利益と人の安全とか、食品の輸出という国の利益と人の安全というのは、そのような究極の選択ではないと思うのです。安全を犠牲にしてまで利益のためにリスクをとっていいものではない。


薬害エイズ問題の時もそのようなものが見え隠れしたし、JR西日本の事故であったり先日のJR東日本の山手線の運休につながった工事であったり、航空会社がメンテナンスより定時運行を優先する姿勢であったり、自動車メーカーのリコール隠しであったり、建物の耐震強度偽装問題であったり、牛肉輸入問題であったり、そのような様々な問題に同じような問題の根が潜んでいるような気がしてなりません。
一人一人なら相手を思いやり助け合う気持ちがもてるのに、なぜ企業や国家という集団になるとそのような気持ちがどこかにいってしまうのか。自分たちさえ良ければいいという大人社会を見て育った少年が、自分さえ良ければいいと人を殺してしまうのか。集団の病が個人の病に変質していく危険もあります。


物事の本質ではないかと思われる、「安全に乗客を輸送する」とか「安全な乗り物を提供する」とか「安全な建物を提供する」とか「安全な食べ物を提供する」とか「強い日本代表を作る」という大事な部分を忘れ利益だけを考えてしまうと起こる問題なのでしょうか。
まとまりのないエントリーではありますが、昨日のニュースや特集を見ていて、JR西日本だけの問題なのか日本国内だけの問題なのか、それとも日本に限らず人が集団で行動していく中で常に発生する問題なのか、そんな疑問がわいたのでまとめてみました。まとまってないか。