「独裁者と呼ばれても構わない」
週刊文春8月10日号を買ってしまいました…。
全文引用すると問題があると思うので、質問だけ引用します。
質問
−−ドイツW杯のグループリーグ敗退という結果をどう受け止めているか。
−−そもそもなぜジーコ監督だったのか。
−−しかし、結果は二敗一分の惨敗。任命責任をどう感じているか。
−−しかし、四年間の総括の前にオシム監督就任の流れが作られた。あの失言は確信犯ではなかったか。
−−確信犯でなければ、なおさら問題ではないか。未決定な重要機密をうっかり洩らすようでは、トップとしての資質が問われる。
−−オシム続投を望むジェフ側が反発し、交渉は紛糾しました。あの段階では、正式なオファー自体なかったのではないか。
−−ドイツW杯前に、なぜジーコの後任はオシムがいいと判断したのか。
−−次期監督としてオシムと事前交渉することは、理事会には諮っていたのか。
−−五月の段階では川淵会長の続投は未確定だった。続投が決っても任期は2年。次の南アフリカW杯を別の会長で迎えることは明確。もし南アフリカで惨敗したら、川淵会長は責任を負えるのか。
−−しかし、オシムはジェフと来年1月まで契約が残っていたはず。Jリーグの初代チェアマンである川淵会長が、クラブから監督を強奪する形になったことは、批判を免れない。
−−講演料収入を個人会社を通じて受け取っていたのは事実か。
−−『川
淵渕企画』を設立した経緯は?
−−講演の頻度は?
−−講演料収入の使途をおうかがいしたい。
−−寄付以外は川淵企画の収入になるのか。
−−今回の人事は、反川淵派に対する報復人事であり、子飼いを登用した独裁体制だとの批判もある。
−−この二年でどんな改革を行うつもりなのか。
質問だけというのも答えが気になると思いますので、いくつか答えも。
−−そもそもなぜジーコ監督だったのか。
ジーコのサッカースタイルは、選手の自由と自主性を重視するものです。今となっては規律を重んじ、組織を最優先に考える前任のトルシエの方が日本人に合っていたとの指摘もありますが、ジーコの取り入れた”自由”は決して間違っていなかったと私は思います。
自由が合っているか間違っているかではなく(それもあるけど)、監督経験がなく監督としての指導の引き出しがない未経験者にチームを任せることに対する批判には答えていない。
−−しかし、結果は二敗一分の惨敗。任命責任をどう感じているか。
結果責任については重く受け止めています。勝てば賞賛を受け、負ければ批判を浴びることは覚悟しているし、逃げるつもりもない。しかし、代表チームの成績と会長の職責は問題が別だと私は思います。ジーコがダメだから、会長も辞めなければいけないというのはあまりにも短絡的過ぎる。
普通の状況で代表監督がダメだったから責任を問うているわけではない。川淵氏が独断に近い形で選んだジーコ監督がダメだったから、選んだ責任者である川淵氏に大きな責任があるでしょ、と言っているわけです。技術委員会が選んだリストは自由を標榜した監督だったのか? 自由は川淵氏の口からだけ出ているだけではないのか?
(答えの続き)
世界のサッカーの流れを考えれば、トルシエのサッカースタイルでは世界のトップには入れない。選手個々のテクニックや創造性なくしては世界の壁は越えられませんし、組織と個々の力がリンクしないと強いチームはできない。つまりジーコの4年間は必要な4年間だったが、要は選手がまだ”自由”を噛み砕いて理解できなかったのです。
(強調は引用者)
監督選びの失敗は棚に上げて、できなかった選手が悪いとは…。選手の責任もありますが、それ以上に選手の力を引き出せなかった監督の責任は大きく、そのような監督を独裁で選んだ会長の責任が重大だということを認識するつもりはないのですね。
組織と個々がリンクする前に、組織をぶち壊した監督の責任、そしてそのような監督を自分で選んだ責任は棚上げです。
言い訳に終始していて、果たして買う価値があるインタビューだったかは疑問です。あえてオーバーに表現すれば『違法な形で始まった事態を適法な形で言い逃れしている』ようにしか聞こえません。始まりも適法な形なら負けたから辞めろとは言いません。そこが分かっていないのか、分かっていて避けているのか。