戦い終わって…

最近、サッカーに関してモチベーションが上がらないエルゲラです。


ヴェルディについては、先日の西が丘サッカー場横浜FCと引き分けに終わった時点で今シーズンの終戦を実感しました。それまでは口では厳しいことを言ったり勝ち点を計算すると可能性が少ないぞと厳しいことを書いたりしていましたが、まだ戦いを捨ててはいませんでした。でも、先日の引き分けで自分の心の中で完全に『今シーズンの戦いは終わった』と気持ちが切れてしまいました。引き分けでも腹も立たないし、J2の順位表も気にならなくなってしまいました。来シーズンに向けてどんなチームになるのかという興味もわかず、これからの残りシーズンをどのようなモチベーションでヴェルディとつきあっていけばいいのか、複雑な心境です。
もちろん選手の皆さんや監督や熱心なサポーターは最後まで熱い試合を繰り広げてくれるのだろうとは思いますが、試合は続いても戦いは終わってしまった、そんな心境です。


思えば昨シーズンは最終的に降格の憂き目を見ましたが、それでも少なくとも11月の26日までは戦いが続いていました。最終節の一つ前の試合まで、厳しい心理状態ながらも戦いが続いており、最後まで気持ちが離れずにヴェルディと接することができたというのは、ある意味では幸せなシーズンだったのかもしれませんね。
4位以下の順位にほとんど意味を持たない現在のJ2において、昇格圏内の可能性がなくなった瞬間に各クラブは何を最大のモチベーションにして試合に臨むのだろうと考えると、簡単に答えが出ません。「サポーターのため」と言えば聞こえはいいけれど、負けや引き分けばかり続いていたらサポーターのためにすらなりません。やはりプロのクラブである以上「勝利する姿」をサポーターに見せ、「勝利の歓喜」をサポーターに与えてこそ「サポーターのため」になるのでしょう。1試合でも多く勝つことが来シーズンの可能性を感じさせることになる。単純ですが、結局は「勝利」しかないし、勝てないクラブは見放されるのではないかと思います。


以下は特定のクラブや団体に向けてのものではありません。
「勝てなくても信じてついていく」とか、「負け続けても最後まで応援する」という考え方も一見正しいように思えるのですが、「負けると街を出歩けない」は大げさにしても、「負けるとブーイングされる」とか、「負けるとお客さんが来なくなる」とか、負けることのデメリットをもっと直接クラブや選手に実感として体感させるような環境にならないと、甘えの構造は変わらないのかなとも思います。「負け続けても最後まで応援する」ことと、「負け続けたので応援しない」ことを比べた時に、長い目で見てどちらが本当にクラブのためになるのだろう、そんなことを考えてしまいます。今のJ2のやり方では負け続けても来年もJ2だし、『勝ってJ1に昇格しなくてはいけない』というプレッシャーを本当にクラブに与えられる存在は誰なのか、考えがまとまりません。勝っていても負けていても、どんな状況でも応援の声が途切れないことが日本の良さかもしれないけれど、負けている試合で時に無音になったり、ブーイングが飛び交うこともクラブを強くするためには必要なのではないか。シュートを外した選手に対し、その選手の名前を連呼することが正しいのか、それともブーイングを浴びせることが正しいのか、分からない。