陽炎

蜉蝣(かげろう) goo 辞書

成虫の寿命は数時間から一週間ぐらいで、短命ではかないもののたとえにされる。

陽炎(かげろう) goo 辞書

春、晴れた日に砂浜や野原に見える色のないゆらめき。大気や地面が熱せられて空気密度が不均一になり、それを通過する光が不規則に屈折するために見られる現象。「かげろう(蜉蝣)(1)」に通じさせて、はかないもののたとえに用いる。


今売りのサッカー批評 32 エル・ゴラッソ に掲載されている、8月9日に行われた川淵氏に対する抗議デモの記事を読みました。サッカー批評においては宇都宮徹壱さんが、エル・ゴラッソについてはえのきどいちろうさんが、それぞれデモの中心や周囲に居た関係者や参加者にインタビューをしながら、記事を書かれています。当日はトリニダード・トバゴ戦の夜でしたが、宇都宮さんは試合からデモの現場に流れ実際にその模様を体感していて、えのきどさんは監督会見に流れたので実際のデモそのものは見ていないという違いはありますが、どちらもデモという出来事について記録し、少しでも参加者の心情を伝える媒体として貴重な記事だと思っています。


実際に私もあの日あの場所にいましたし、デモの賛否が渦巻くネット上の世界なども見ていたのですが、今となってはとても遠い日の出来事のように感じてしまう自分も居ます。デモの日から1ヶ月半も経っていないのに、『この実感のなさは何故なのだろう』と思ったのですが、やはり代表チームという存在の難しさによるところが大きいのかなと思います。


日本にはJリーグがあり、サッカー好きの皆さんにも応援するクラブがあることでしょう。私にとってはヴェルディというクラブが存在し、そこに日常がある。もちろん日本代表も応援しているし、国内で試合があれば行くし、時にはドイツまで行ってしまうわけですが、それでも基本となるのはヴェルディなのです。
日本国内だけに限らず、各国のリーグ戦では週に1回(もしくはそれ以上)試合があり、勝って喜び負けて嘆き、1シーズンを戦い終えれば、優勝だ降格だ昇格だとさらに大きな喜怒哀楽をもたらしてくれる。合併や消滅などという想定外の事態が起きない限り、やはり日常は国内リーグが中心となる。


それに対して代表というものは、いくら盛り上がってもやはり非日常のもの。日本のサッカーを代表して良い内容を見せて欲しいし試合をやるからには勝って欲しい。アジアの大会でも世界大会でも、参加するからには本大会に出て欲しいし、出るからには1つでも多く勝って欲しい。
常に興味は持っているし、大会になれば絶対的に応援してしまうけれど、所詮は試合のために集まり試合が終われば解散していく陽炎のような存在なのですよね。その時は熱中し持てる全感情をぶつけるけれど、少し時間が経てば消えていく。もちろん大会の成績や試合内容などは簡単には忘れませんが、日本代表の1勝とヴェルディの1勝を比べたとしたら、やはりヴェルディの1勝の方が嬉しい。まあ、簡単に比べられるものではないけれど。


そこで本題の川淵氏に対する抗議デモについてですが、対象となっている日本代表(に対するマネジメントを失敗した川淵氏)が陽炎のような存在だから、そこに対する抗議活動というのも継続性を持てないのもしょうがないのかもしれない、などと考えています。実際に未だに川淵氏は「クラブワールドカップに中田氏を」などという発言をしているようですが、今の自分にとってはこのような川淵氏のクソ発言よりはヴェルディの不振の方が重大な問題だし、来年の日本代表監督よりも来季のヴェルディの監督が誰になるのかの方が重要な問題です。
もちろん様々な方の苦渋の選択の末に日本代表監督に就任したオシム監督をないがしろにするような行動を川淵氏をはじめとする協会がとった場合は断固として抗議しますが、現在のところは代表や協会や川淵氏に対しては静観という状態です。


あの日のデモが成功だったのか失敗だったのか、評価は非常に難しいしそもそも評価する必要すらないかもしれません。クラブを応援するサポーターは週に1回はスタジアムに集まります。自分たちの応援するクラブが何らかの形でうまくいっていなければ、どうしても避けては通れない問題だし、直接的な行動にも出やすいでしょう。自分達が応援するクラブの試合は日常であり日常生活そのものでもあるのですから。
しかし日本代表を応援するサポーターは試合のたびに不定期に集まってきて、試合が終わればバラバラに散っていく。そのような環境の中で、特定の団体の力に頼らずにあれほどの人間が集まった、その時点で私は大成功だと感じています。集まった人数が500人(推定)ではなく5,000人だったらまた違った結果になったかもしれませんが、毎週スタジアムに集うクラブサポーターではない、お互いに顔も名前も知らないような人々がネット上の呼びかけを中心にあれほど集まったことというのがどれほどの快挙だったのか。非日常である日本代表という世界において、デモという現実的な抗議行動が行われ、そこにあれほどの人が集まったこと。そこを見過ごしてはならないような気がします。


仮に浦和や新潟などの人気クラブにおいて、サポーターを心底怒らせるような不祥事があった場合、軽く5,000人や10,000人が集まるでしょう。それにくらべて横のつながりがほとんどない人間が多いだろう日本代表においてあのようなデモが行われたこと、そこにある強い想いという部分をデモの対象である川淵氏は感じているのかいないのか。たぶん感じていないのでしょうね。
お互いに利害関係もまったくなく、日常の出来事でもない。そんな日本代表とそこにいる川淵氏に対してあれほどの人間が小雨の中に集まったこと。スポンサーからお金が出るような仕事でもなく、企画した人間も参加した人間も手弁当で費用と時間を持ち出して活動していたこと。そこまでした行動の結果について、「ご自由に、としか言いようがない」と答える人間には伝わりようがない想いでしょうね。