候補合宿についての監督コメント

読み方の分からない漢字を変換するのでIMEパッドの部首で「口偏(くちへん)」の字をつらつらと探していたのですが、言葉を発する口が元になっている漢字だけに考えさせられてしまう字が多かったです。



日本代表候補合宿最終日 オシム監督コメント スポナビ

(水本と闘莉王の離脱について)どんな選手であれ、彼らがいないことで代表が成り立たないということはない。(離脱して)残念に思っているのは、彼ら自身だ。彼らがいれば、もっと厳しいチームの競争になっていたと思う。とはいえ、2人がいないからといって代表チームが崩壊するわけではない。別の選手が関心を集めることだろう。サッカーとはそういうスポーツだ。いない選手ではなく、今いる選手を見なければならない。もしかしたら、もっといいチームになるかもしれない。

(あらためて闘莉王について)それはさっき答えたとおりであり、もう済んだ話だ。彼はまだ若い。4年後にもアジアカップはあるし、その前にワールドカップもある。治ったら、またチャレンジしてほしい。


呆(あきれる)
誰の口から発せられた質問かは分かりませんが、メディアはどうしても個々の選手についての質問ばかりしたいようで本当に呆れてしまいます。リンク先の記事が時系列でオシム監督の話したことが書かれているとするならば、会見の前半で「いない選手ではなく、今いる選手を見なければならない」と監督が語っているにもかかわらず、あらためて「闘莉王について」聞いた記者がいるのですね。怪我で離脱するのはやむを得ないことだし、候補として招集した選手が離脱したならば痛くないと思う監督はいないでしょう。そして、まともな監督ならば限られた時間の使い方として”いなくなった選手”のことを何時間考えても何の役にも立たないのだから”今いる選手”をどのように効果的に使うのかを考えるものなのではないでしょうか。


オシム監督に限らず監督会見で”いなくなった選手”のことを質問しても、たいていの監督が「彼の存在は大きいので不在は痛いが残された選手で戦うしかない。誰かの不在は他の選手にとってのチャンスなのだから」という答え方をするのではないでしょうか。逆の言い方をすれば、いなくなった選手について他にどういう答えがあるというのだろう。本当に呆れてしまいます。
私のような記者という肩書きをもたない素人にとっては代表監督に直接質問するなどということは叶わない夢なのですから、そのような機会が与えられている記者の方々にはもう少し突っ込んだ質問を期待したいものです。


でもどうして”口”と”木”で呆れるという意味になるのだろう。もしかして呆れている人の顔を見ると”口”が”ホ”の字になっているからでしょうか。ありえないな。