2ステージ制におけるJリーグの想いはズレてないか?

ようやく成熟してきた日本のプロサッカーリーグであるJリーグを開幕当初の2ステージ制に戻すことが検討されていると聞いて、ちょっと耳を疑ったんですよ。何だかタチの悪いデマや景気づけにあげるアドバルーンじゃないかと。でも、どうやらJリーグは結構本気で考えているようで。優勝クラブを2つ作り、それらを1年の最後に戦わせて年間の勝者を決める。確かに盛り上がるし、見た目は面白い試合が増える。でも、それってJリーグが自分達のリーグの売りを”勝負”だと思ってるってことですよね。1ステージ制だと優勝争いや残留争いに絡まない=勝負に絡まない消化試合が増えるので魅力が少ない。それを2ステージ制にすれば前期優勝、後期優勝、それにチャンピオンシップと3回の優勝争いの機会が生まれ勝負のかかった試合が増えると。だから2ステージ制だ。
でもね、ヴェルディなんていう昔は強かったけど現在は弱小クラブで2部リーグの常連さんなんていうクラブをずっと応援していると、サポや観客は勝ち負けを観にスタジアムへ集まっているのか? と思うのです。


とても荒っぽい確率論で言えば、自分達のクラブの勝ち試合を見られる観客は1/3で、引き分け試合を見る観客も1/3で負け試合を見る観客も1/3。もちろん自分達のクラブが勝った時の嬉しさは観客動員の大きな要因になるかもしれないけど、残りの2/3のクラブの試合では勝ち負けだけがリーグ戦の価値ならばお金を払って試合を見に来てストレスを抱えて帰るというあまりに理不尽な娯楽になってしまうわけです。でも、そうじゃないのではないかと。


自分達のクラブも観客動員に苦戦してるから、Jリーグの試合を純粋に商売や営業として考えた場合、お客さんである観客は何を得るために最低1,000円から高ければ5,000円以上の金額を払ってスタジアムに足を運ぶのか、ということを常々考えています。チケット代だけではなく、スタジアムまでの交通費と少なくない時間をかけて集まり試合を見る。これは試合の勝負、勝ち負けを見に来てるのか? 確かに勝ち試合は嬉しいし、劇的勝利などの試合のエクスタシーは他の娯楽では味わえないような魅力があります。ロスタイムのゴールで勝った試合なんかは、電流が背中から脳天まで突き抜けて天まで昇っていくような、有り得ない快感。でも、毎試合そんなものは体験できないし、むしろ苦行に近いような試合のほうが多いと思う。それでも少なくない観客が試合に集まる。


最近考えてることなのですが、これらの人々はストーリー=人生を観に来るのではないかと思ってます。
例えば応援するクラブのクラブ人生としては全てのクラブに誕生のエピソードがあり、J加盟の瞬間、初めてのリーグ戦、初勝利、初優勝、昇格、残留、降格、運営の危機、そしてクラブの再生など、そのサッカークラブを人間に例えたときの人生の悲喜交々。いい時ばかりではなく、むしろ辛く我慢する事の方が多い日々。
そしてもう一つが応援するクラブに所属する(過去に所属した)選手のサッカー人生。地域で巧かった選手がジュニアユースやユースに入り、そこで頭角を現しトップに昇格し、初めて試合に出場し、初ゴールをあげ、やがてはクラブの中心選手になっていく。でもいつか衰えるときが来て惜しまれつつも引退をする。また少なくない選手は移籍をしたりもするが、他のクラブでの活躍も気になるところ。何らかの事情で外に出たとしても、サッカー人生の最後を自分達のクラブで終えてくれたらこんなにうれしい事はない。また、移籍して加入してきてくれた選手だって昨日までの敵だけどマイクラブのユニフォームを着てくれた瞬間から全力で応援し、その選手のそこからのサッカー人生は自分達のクラブの歴史となる。
もちろん毎試合そんなドラマチックなことはないけれど、それでも今年のクラブの一年はどうなのか、この選手の今年のプレーはどうなのか。勝ち負けではないところに価値を見出して通ってくれている観客も多いのではないかと。


Jリーグ100年構想って嫌いだけど好きだったんですよ。最初は読売が川渕さんやリーグから目の敵にされてましたけど、クラブとしての人生やそれぞれの選手のサッカー人生を考えたときには100年かけても地域に根付くという発想は素敵だなと。親が応援していたから子供もいつの間にか応援するようになり、いつかは孫もスタジアムに通う。決して読売的なスター選手がいるから応援するとか、常に強くて試合に勝つから応援するのではなく、気がつけばクラブがそこにあるから自然に応援する。私はJリーグ100年構想をこんな風に理解してます。
翻って我がヴェルディはホームタウンの移転や運営会社の変更など、様々な地域に根付かない(根付けない)クラブ運営をこの20年間に渡り行ってきました。昨年と今年では監督が変わったことで選手まで大幅に変わり、クラブとしてのアイデンティティイを失うほどの変化をしてしまっています。選手の総入れ替えなどは、クラブ人生の自殺に匹敵するような愚かなことだと思う。これではクラブに親近感などを持てるわけがない。


Jリーグやそれぞれのクラブが今までスタジアムに来たことのないお客様を呼び込むために必要なのは、2ステージ制などの結果生まれる勝負ではなく、それぞれのクラブが地域のお客様を呼べるストーリーだと思っています。同じ学校や同じ地域出身の選手がそのクラブにいる。ユース出身の選手が半分ぐらいいる。例えば九州のクラブだったら監督も選手も九州出身じゃなければ集めないなんていうクラブがあっていいかもしれません。
地域性だけではなく、ヴェルディだったら試合に勝とうが負けようがパスをつなげる選手だけを集めるとか、伝統的に堅守速攻を売りにするクラブがあってもいい。そのクラブのストーリーやそれぞれの選手のストーリーをもっと際立たせて、日本全国にアピールするのではなく、自分達のクラブの商圏にだけアピールする。


所詮優勝争いに絡むクラブなど極一部であって、多くのクラブは絡まないしそもそもJ1にすら上がれない。それぞれのクラブがその商圏の1〜2万人に向かってストーリー(=クラブ人生)と所属選手のストーリー(=選手人生)をいかにアピールしていくか。それを100年かけて(あと80年か…)やっていく。松本のように、うまく地域を巻き込んで。
Jリーグが今考えなければいけないことは、2ステージ制に象徴される勝負に客が集まるという考え方を推し進めることではなくて、20年の歴史の中で根付くことに成功したクラブと失敗したクラブのやり方を分析して、都市圏や郊外など条件が違うことがあるけどそれでも活かせる方法はクラブの垣根を越えて共有していく、そんな戦略だと思うんだけど。それぞれのクラブに様々なストーリーがあってクラブを象徴するような選手がいて多くのサポがその選手の選手人生を見届け世代を超えて語り継いでいく。スタメンを保障するとかではなく、クラブのレジェンドを大切にするということが、そのクラブの歴史を作り伝統を生んでいくのだと思います。そしてそれがそのクラブのストーリーとなる。


5年10年ではどうにもならないことだけど、既に浦和における福田選手やブッフバルト選手・監督や名古屋におけるピクシーなど、そういう存在も生まれてますよね。そういうクラブは目先の成績では左右されないぐらい、観客の心を深く掴んでいるのだと思うし、そういう存在がいないクラブはこれから歯を食いしばって作っていかなければいけない。何もそれは選手だけじゃなくて監督だっていいわけですよ、ファーガソン監督のように、その存在がすでに伝説。
Jリーグはここで2ステージ制に戻すなどという目先の焦りを見せなくてよいと思うんだけど。もっと腰をすえてリーグやクラブの在り方を考えて欲しい。だって100年構想を捨てたわけじゃないんでしょ?