日本一周 オホーツク編1

利尻島を離れ、稚内に戻るフェリーに乗った。天気が良かったので礼文に渡る時とは違い、甲板に出て遠ざかる利尻島礼文島を楽しんでいたら、車で旅をする同年代の夫婦から話しかけられた。聞けば、昔はバイクに乗っていたが、現在は車で旅をしているとのこと。妙に話があったので、今夜のキャンプ場での再開を約束して稚内に上陸した。


稚内は独特の雰囲気の街だ。港にはソ連から来たのかと思うような漁船もいるし、礼文島側の野寒布岬(ノシャップ岬…日本で3番目の北端、道東で有名な納沙布岬ではない)の近くには、巨大な自衛隊のレーダーサイトがある。稚内から宗谷岬に進む国道238号線の左側には砂浜が続いているが、有事の際にはここからソ連軍が上陸するのかと考えながら走ってしまった。宗谷岬を回り込んでオホーツク海側に出れば、大韓航空機が撃墜された現場に近くなる。日本の中でも特別な地域かもしれないが、嫌でもソ連の存在を近くに感じるエリアだ。


日本最北端の宗谷岬だが、最北端の寂しさはない。エンドレスで宗谷岬の歌が流れている、不思議な場所だ。ここに30分でも居ようものなら、走り出した後にはヘルメットの中で口ずさんでいることは必然だ。
『流氷融けて 春風吹いて  ハマナス咲いて カモメも啼いて
  遥か沖ゆく 外国船の  煙も嬉し 宗谷の岬』
歌は少し物悲しい、それでいて心温まる歌なのだが、エンドレスで流れていると、どうも最果ての印象はわかないものだ。


宗谷岬そのものに最果て感はないのだが、岬の後方に続く宗谷丘陵には最果て感が良く似合う。宗谷岬の少し手前から丘陵地帯に入る道があって、入っていくと未舗装の農道が続いている。もしかしたらどこかの牧場の敷地かもしれないけれど、ゲートがあるわけでもないので、行けるとことまで行ってみる。牧草と熊笹と低木だけの風景は、やはりここが北国で厳しい大地であることを思い出させてくれる。こんな道に気軽に入れるのも、オフロードバイクの身軽さだ。


宗谷岬に戻り、国道238号線を南下する。どこまでが日本海で、どこからがオホーツク海なのだろう。最北端の宗谷岬を過ぎたらオホーツク海なのだろうか。個人的には、宗谷岬を過ぎ、国道が少しだけ峠道(といっても宗谷丘陵をこえるだけだから、きついものではない)を越えて海に向かって下っていく時からがオホーツク海だと思っている。


今日のキャンプ場はクッチャロ湖だ。道東の観光地でおなじみの屈斜路湖ではない。利尻島を後にする時には、稚内からどちらの方向に進むか決めていなかったが、フェリーで知り合った夫婦に勧められて、クッチャロ湖の北オホーツクランドに決めていた。ここはクッチャロ湖湖畔に広くて平らなキャンプサイトが広がり、キャンプ場の入口には温泉施設もある。またキャンプサイトには、芝生の中に備え付けの木製のテーブルと椅子があって、その近くにテントを張れば我が家のリビングのような使い方もできる。
今回の旅にはキャンプサイト用に折りたたみの椅子を持ってきて使っているが、所詮折りたたみなので、座る高さは地面からせいぜい30cmぐらいのものだ。普段日常生活で暮らしていれば、そんな低さに座ることはないだろう。もちろんいつもはテーブルなどなくて、地面に直接置いたガソリンストーブ(コンロのようなもの)から食事をしているので、かなり大地に近い高さで生活をしているが、このキャンプ場では久しぶりに文化的な高さで夕食を取ることができた。メニューは変わらないけれど。


夕食を終えた頃、フェリーの上で約束をした夫婦が探し当てて、差し入れのお酒とつまみを持って訪ねてきてくれた。さすが、車だ。バイクでの荷物とは違って大きな物でも運べるところは素晴らしい。話は弾んだがキャンプ場の夜は早い、大勢でワイワイ騒いだり花火をするような不届き者はほとんどいない。話し足りなかったが、適当な時間でお休みを言うことにした。久しぶりに他人と長時間話したような気がする。誰かと会話はしても、それはいつも挨拶を交わし二言三言言葉を交わすだけの関係だ。やはり、会話に飢えていたのだろう。