DAY 1

ホテルをチェックアウトして送迎バスで関西空港に向かう。団体旅行受付カウンターは壮絶な雰囲気に包まれていた。客の顔もスタッフの顔も、これから楽しい旅行に向かう人々のそれではない。戦場におもむくような、どこか引きつった顔だ。残念ながらサッカーの戦いではなく、チケット争奪の戦いだけど。


受付に行って名前を申告すると、まずもう一度チケットの情況について説明された。チケットが確保されていないと。それで、ワールドカップ観戦ツアーはツアーキャンセルされて、新しく『ボルドー・トゥールを巡る旅』を催行するので、それに参加しますという署名を強要された。旅行会社は強要などしていないと言い張るかもしれないが、あれは強要だ。何せ、これに署名しなければ飛行機に乗せないと言うのだから。この署名を巡ってそこいら中でトラブルになっていたが、私はあっさりと署名した。ここでスタッフを責めても何も始まらない。とにかく現地に行かなければという気分だった。初めて訪れた関西空港だったが、そういうわけで空港に対する印象は一切残らなかった。とにかく飛び交う怒声だけが印象的だった。


またこの受付をした時点で旅行会社から取れなかったチケット代として1試合につき50,000円が返金された。日本戦2試合観戦ツアーだったし、オプションで他の試合も申し込んでいたのでかなりの現金が返ってきた。これに手持ちの金を加えた金額をフランに両替した。現地でダフ屋からチケットを買うのにカードが使えるわけがないし、とにかく現金がなければ始まらないと思っていた。甘かった。


飛行機に乗り、席に着く。窓際の席だった。『これから行くんだ』というワクワク感は一切なく、『これからどうなるんだろう』という不安だけが一杯だった。機内が暗くなって睡眠を促されてもまるで寝られるような気分ではなかったので、暗くなった機内を明るくしないように頭から毛布をかぶって窓のシェイドを上げて、光がこぼれないようにしながらひたすら眼下に広がるシベリアのツンドラ地帯の景色を眺めていた。果てしなく広がる無人の大地に、クネクネと蛇行する川とあちこちにある池や沼が印象的だった。飛べども飛べども終わらないツンドラ地帯は、考えても考えても消えない心の中の不安のようだった。


日本を朝に発って12,3時間フライトしてきたのに、時差の関係でオランダのスキポール空港には午前中に着いた。ここからが長い移動だ。旅行の日程では飛行機での移動が予定されていたが、ツアー客全員がチケットを持っていない現状を考えて、一国も早く開催都市であるトゥールーズへ入るために列車での移動となった。空港からローカル線に乗ってどこかのターミナル駅まで移動し、そこで列車を乗り換えてパリ行きの特急列車に乗った。ツアー客全員が大きな荷物を持っての列車移動や乗換えはかなり大変だったが、同じ不安をかかえる人間同士の集団のせいか荷物の運搬や積み下ろしなどを協力してやった。大荷物をかかえる旅行ならバス移動が普通だと思うけれども、この時は誰も文句は言わなかった。とにかく気持ちが先にトゥールーズへ行っていた。どこを通ったのか良く覚えていないが、オランダ、ベルギー、フランスと移動した。オランダの緑豊かな景色と、ベルギーの人気のない街並み、そしてどこのスタジアムだか分からないが、駅のすぐそばにあった無人のスタジアムを見たのを覚えている。
こうして列車はパリノルド駅に着いた。


バスに乗り込み、夜行列車の出るオーステルリッツ駅に向かう。初めてのフランスで初めてのパリなのに街をバスで横切るだけ、何とも悲しいが小雨の降るパリの街角を、バスの窓から写真に撮っただけで初のパリ滞在は終わる。
それにしてもノルド駅の大きさにびっくりした。単純に駅の大きさなら日本の東京駅や新宿駅の方が大きいと思うのだが、ホームがすべて大聖堂のような大きな体育館のような屋根に覆われているのは圧巻だった。暗くなりかけた夕暮れのノルド駅のホームに特急が滑り込んだときに、その大きな駅舎の中にガス灯のような照明が灯っているのは美しかった。


一方夜行列車が出るオーステルリッツ駅はもっとこじんまりとしたローカルな駅という雰囲気で、日本で言えば北行きの列車が出る上野駅のような雰囲気で寂しかった。駅の売店でサンドイッチを買い、夕食とする。旅行会社が抑えてあったコンパートメントは既にアルゼンチン人か誰かに占拠されていて、同じツアーの客同士で相部屋となるが、そんなことも気にならないほど疲れきっていたので、列車が動き出すとすぐに眠りに落ちた。
時差の関係もあるが、移動手段を考えてもとにかく長い一日だった。あまりの移動の疲れによって、チケットがないことなどすっかり忘れていた。