天国から来たチャンピオン

昨夜はツールもなく(笑)、日本代表のサッカーもなく、またパソコンにも向かわず(反省)久しぶりに何もしない夜を過ごしました。ユーロが始まってから、ほぼ毎日見たい試合があって、ツールもあって、代表の試合もあって、何かに追われるようにテレビを見ていましたね。でも、昨夜に限っては、見たいテレビ番組も無いな〜とチャンネルをガチャガチャやってたら(死語ですかね)、スカパーで天国から来たチャンピオンをやっていたんです。1978年の映画で大昔に観たこともあって大枠のストーリーは知っているのですが、ほとんど初見のような純粋な気持ちで、でもただ何となく観ていたんですね。


でも、観ているうちにどんどん引き込まれていくんですよ。25年以上も前の映画ですから、死んでしまった人の魂の表現や天使の映像も、もちろんCGなんて使っていなくてとても原始的なんですが、そんなことを分析するまでもなくどんどんストーリーが頭に入ってくる。重要な場面であるアメリカンフットボールのシーンでも、ここ数年で観たエニイ・ギブン・サンデータイタンズを忘れないなどの映画に比べても思いっきりちゃちなのですが、もうそんなことはどうでもよくなっているんですね。主人公の人を思う気持ちや切ない気持ち、そんな感情が演技やセリフや表情や音楽からバシバシ伝わってきます。いいものは時を越えるし、お金をかけなくても、撮影方法が古くても、いい映画であればそんなことに関係なく観ている人間に伝わるんだな〜ってあらためて思いながら観終わりました。


でも、この製作者の思いをこちらが受け取るためには、余計なフィルターを通して観ていたら、受け取れるものも受け取れないんだなって気がついたんですね。先ほども書きましたが、映像の古さだったり、撮影方法の稚拙さだったり、先が読めてしまう単純なストーリーだったり、そういう映画の本質ではないことにあまりにも捉われて観ていると、伝わるものも伝わらないのではないかなと。観るほうが先入観を持たずに観ていれば、きっといい映画は確実に何かを伝えてくれますよね。


で、サッカーの話になるのですが、ここ最近あまりにもいろんなジャンルのサッカーを見て、自分なりに思ったことをこうやって書いているうちに、どこかで素直な気持ちを失っていたのかな〜と。アジアカップについても、先日のオマーンvsイラン戦などは見ているこちらに訴えかけてくるものが確かにありました。
オマーンについては、日本戦では自分たちのサッカーに対してまだ疑いを持ってたオマーンの選手たちが、日本を押し込んで試合をコントロールし、試合には負けてしまいましたが日本と善戦以上の戦いをしたことで得られた自信だったり、自分たちのサッカーは間違っていないんだという確信だったり。
イランについては、オマーンに2点先行されてからの焦り、またオマーンの選手を踏みつけても負けたくないという強い気持ち、追いつく執念。
そんなものがビシビシ伝わってきたのですね。こういうものに刺激されてどんどん試合に引き込まれていったんです。最初は日本の対戦相手として見ていたのですが、試合の途中からそんなことはもうどうでもよくなって、純粋にサッカーと勝負の行方を楽しんでいました。


しかし、最近の日本代表の試合にはそんな引き込まれるほどの迫力を感じないことが多いんです。監督が変わって、やりたいサッカーが不透明になり、選手たちにもとまどいがあり、見ている側にもとまどいがある。また、選手の走れない(走らない)スピード感のないサッカーにも苛立ちを覚える。たぶん選手たちは勝ちたい、いい試合をしたい、という一心でプレーをしていると思うのですが、少なくとも見ている私には伝わってこない試合の連続でした。
でも、伝わってこない原因は試合や選手たちだけの側にあるのではなく、もしかしたら見ている私の目にフィルターがかかっているせいなのかもしれないと思ったんですね。DFラインの高さ、選手の距離感、パススピード、フリーランニング等々。いつもいろんな事を考えながら試合を見ているから、選手たちの思いを受け取れないのかもしれないな、と思ったんです。


アジアカップはこれから最低でも2試合、勝ち抜けば4試合あるので、もう一度素直な気持ちで日本代表の戦いを見てみたいと思っています。もちろん、アジアチャンピオンの座を目指し、応援もします。これは、今までもこれからも変わることはありません。アジアカップに出場する限り、目指すのはチャンピオンですからね。
それでも素直に試合を見た結果、魂に伝わってくるものがなかったら、やっぱり今までと同じ結論に達して監督交代を叫んでるかもしれませんけどね。