2つの総集編 第二夜

昨夜も2つの総集編を掛け持ちです。何かユーロの頃やアジアカップの頃を思い出してきた。


まずは英雄たちの夏物語 ツール・ド・フランス2004総集編の後半を見ています。リアルタイムの時はどうしてもボエックラー目線でレースを見ていたのですが、こうしてあらためて一歩引いて見るとランスのための後半戦でしたね。強すぎますよ、ランス・アームストロング。でも、その強さの裏側にはきっと表には出てこないトレーニングや普段の生活の節制があるのでしょうね。勝負どころであの走りをするために、どれほどの準備をしてきたのでしょうか。
それにしてもあのゴール前スプリントでのステージ勝利に対する執念は見ている人間にも怖さを覚えさせるほどのものでしたから、バッソは怖かったんでしょうね。


また、シメオーニとランスとのしがらみもリアルタイムの放送の時はついていけていませんでしたが、良く分かってすっきりです。当の2人はすっきりしていないのでしょうが。
またモロー選手は何がしたいのだろう、総集編でも分からなかった。
ボエックラー選手にとっては最後は残念な結果でしたが、大ベテランのビランク選手とともにフランスの人々に大いなる希望と楽しみを見せてくれたのでしょうね。オリンピックもワールドカップもそうですが、地元開催国の選手が頑張れば頑張るほど大会は盛り上がるのですから、ボエックラー選手の頑張りはフランス国民にきっと希望を与えたことでしょうね。
結果を出したり、最後まで完走した選手たちの晴れやかさの陰でリタイヤした選手たちにもそれぞれのドラマがありましたが、マヨ選手のリタイアしかかってもう一度走り出した場面も、リアルタイムの放送時よりも感じるものがありましたね。敗者がいるからこそ勝者も存在するのですが、やっぱりツール・ド・フランスのように長期間になればなるほど、人間の心が浮き出てくる勝負=ドラマなのですね。


もう一つの列島縦断 鉄道12000kmの旅ですが、時間の関係で後半の1時間しか見れていません。それでも、ジーンときちゃうなぁ。
今日は特に音に反応してしまいました。京都での蒸気機関車の音。私は鉄道マニアでも鉄ちゃんでもないので、列車の型番とか型式とかは全然分かりませんが、あの蒸気機関車の汽笛の音や走り出す時の車輪と蒸気の音にはグッっときてしまいました。
昨日も書いたことなのですが、時代の先端を行く新幹線や特急もいいのですが、蒸気機関車の汽笛の音色や国鉄時代の型の特急が走る時の線路の継ぎ目を超える時の音色。餘部鉄橋を渡っていく時のディーゼル列車の響き。古きよき時代というより、心に直接訴えかけてくるような哀愁があるのですよね。
先日も浜松駅のホームでこだまを待っている時に、のぞみやひかりが何本か通過していったのですが、あれほどの速さになると心のどこかで恐怖に似たような感情を覚えてしまうのですが、蒸気機関車ディーゼル車の速さや音には、逆に心が癒されてしまう何かがあるような気がします。


もともと父が旅好きだったので子供の頃から寝台特急に乗って旅をしていた影響も大きいと思うのですが、あの列車(電車ではない)が線路の継ぎ目を越える音を聞くと、どこか遠くへ行きたくなってしまいます。駅舎もそうなのですが、昨年京都駅に行ったときに『何じゃこりゃ』と思ってしまったのですよね。たぶん地元の方にしか分からない事情があって今の駅舎になっているのでしょうが、ああいう近代的な駅よりも新潟駅青森駅のように昔と今が同居している駅舎の方がいいなぁ。


昔は良くオートバイで北海道を走り回っていたのですが、根性なしだった私は雨の日は走り出して1時間もすると『今日は走っていても面白くない。』と早めに見切りをつけて、午前10時か11時にはその日の宿を決めてしまい、バイクと荷物を預けて近くの駅から列車の旅に切り替えてしまっていたのです。計画も何もないから行ける所まで行って、そこで下車して駅の周辺を散策してまた列車に乗って帰ってくるだけなのですが、道路から見る景色と違って、列車の車窓から見る景色にはガードレールもないし、いろんなお店が道路のように立ち並んでいることもないので、景色との距離感がとっても近いのですよね。たまに乗る鉄道は当時の自分にはとっても新鮮でした。
ああ、この番組を見ていたら鉄道の旅がしたくなってきました。どこへ行こうかな。