2年6ヶ月の時間の中で

2002年の9月にジーコさんが監督に就任してから早いもので2年6ヶ月の時間が流れました。コンフェデや東アジアの失敗、ヒヤヒヤの一次予選、アジアカップの優勝と様々な戦いがあり、様々なドラマが生まれました。
数々の試合を経験してこの3月末のアジア最終予選の2連戦に臨む代表メンバーが昨日発表されたのですが、それ以降どうしてもネガティブシンキングになってしまっています。


怒りとか呆れとか、そんな感情ではなくて、あきらめのような感情と言ったら良いのでしょうか。もちろん選ばれた選手たちは選ばれるにふさわしい活躍や実績を残している選手ばかりですので、できる範囲で最大限の試合をして欲しいとは思っています。でも、1人の監督に2年半の時間を与えて、その結果がこれかよ、そんな感情がどうしても消し去れないのです。今の日本のサッカー選手の中で、どんな監督が代表選手を選んでも、もしかしたら似たような選択になるかもしれません。大きく違うことは少ないでしょう。
でも、このメンバーを選ぶだけなら、日本代表に就任して半年の監督だって選べるのではないか、そんな風に思えてならないのです。


例えばサイドの選手。加地選手と三都主選手は不動のレギュラーでした。効果的かどうかという議論はとりあえず別にして、この2人に対する信頼やこの2人と心中する覚悟は凄いと思います。でも、2年半の時間を与えられて、選手のファーストチョイスの熟成もまだ途中、セカンドチョイスがあるのは左サイドだけで右はなし、サードチョイスにいたっては想像もつかずコンバートすらありうるかも。2年半かけてそれですか。
召集できる選手の数には限りがありますから、各ポジションに2人ずつ選手を用意しても24人で、召集枠はいっぱいになってしまうでしょう。でも、それ以外の新しい選手を試したり、チームにフィットするかをテストするために親善試合があるのですよね。この2年半の親善試合をどれほど無駄に使ってきたのか、その努力や工夫をしなかったツケがここにきて出なければいい、本心からそう思います。


アジアの中で戦うときに、イランという対戦相手は強豪ですよね。そこと戦う直前にコンバートすら考えなければいけない状態、これを考えると無力感というかあきらめの心境というか、そんな言葉しか頭に思い浮かばないのです。
日本のこの先の将来を占う大事な戦いを迎えるにあたって、この2年半で出来る限りの、最大限の準備と努力を日本サッカー界はしてきたのだろうか。もし、万が一予選敗退となったときに、『ここまでやったのだからしょうがない、これ以上の努力はできなかった』と思えるのかどうか。『ああすれば良かった、こうしとけば良かった』、そんな風に後悔することは無いだろうか。


始まる前から負けることを考えていてもしょうがありません。2連勝もありうるし、2連敗もありうるでしょう。勝負事ですからね。ただ、2試合の間隔が中4日でイランから日本への移動もある。そんな状況でチームの修正は不可能でしょうから、今回選んだメンバーにかかる比重はとてつもなく大きいですよね。
そんな選手の負担を少しでも軽くするのが監督の仕事だと思いますが、監督はこの2年6ヶ月、監督としての仕事をしてきたのだろうか、そんな疑問が頭から離れません。


1年前の今頃は怒りでいっぱいでした。しかし、日本サッカー協会は何の対策もしなかった。今はあきらめというか、応援して祈るだけ、本当に運を天に任せるだけになってしまいました。
『天は自ら助けるものを助く』と言いますが、最後の最後で運が必要になったときに、日本サッカー界は天に助けられるような努力をしてきたか、ドーハの時のあの気持ちを忘れていたのではないか、ジョホールバルと自国開催で浮かれすぎていたのではないか。
もうすぐ、その答えがでますね。見たいような、見たくないような、複雑な心境です。