日本魂 アイルランド魂

アイルランドの試合を見たりして、久しぶりに2002年の日本やアイルランドの試合を思い出しました。両国ともベスト16まで進出して敗れたわけですが、その敗戦における受ける印象の違いについて考えてしまいました。
”魂”などという言葉を使う以上、あくまで私の個人的印象であって、具体的な事例ではないかもしれません。でも”魂”という言葉を”強い覚悟”と置き換えると、少し伝わりやすくなるでしょうか。


2002年の日本代表はトルシエ監督の元、”フラット3”というコンセプトをもって戦いました。世間的にはフラット3というシステムで戦ったというのが一般的な捉え方かもしれませんが、私はフラット3というコンセプトで戦ったと思っています。いや、正確には”戦いたかった”のかな。
3人のDFラインを高い位置にフラットに並べること、これはかなり裏を取られる可能性は高い。そしてその3人の間隔を狭く取って、1つのライン=ブロックとして動くこと、これはサイドを突かれる可能性は高い。それらのリスクは百も承知な上で、あえてフラット3で守る。メリットとデメリットで考えると、フラット3というシステムが優れているかどうかという議論になってしまいますが、そうではなくて『俺達はこんなにリスキーな形で守るが、その分攻撃的に守る。みんなは俺達のコンセプトについて来られるか?』と問い掛けられていたのではないかと思うのです。


まず最初に解説者たちが脱落しました。曰く「裏を取られる」、曰く「サイドを突かれる」。そんなことは最初から分かっているのですが、それでも耐え切れなかった。(理解できなかったとは思いたくない。)
次にはサポかな。直前のテストマッチでの失点を受けて、このままで大丈夫なのかとの動揺が走ったでしょう。
そして最後には代表選手たちが脱落した。こういうときは上がる、こういうときは上がらない。この時点で崩壊したのはシステムではなくてコンセプトだと思うのですよね。『リスキーな守備方法だが、攻める気持ちを忘れるな』というコンセプトが崩壊して、セイフティといえば聞こえがいいですが、『逃げる』気持ちが勝ってしまった。


ただ、これは誰が悪いということではないと思っています。そんな過激なコンセプトを持ち込んだ監督が悪いのか。信じきれなかったサポや選手が悪いのか。そんなことではなくてサポや選手までを含めた日本サッカーにそのコンセプトを最後まで信じきるような”強い覚悟”がなかった。例え運悪く裏を取られて失点したとしても、それでも同じやり方で守り続ける強い覚悟がなかった。フラット3という”仏”を作っても、”魂”を入れられなかった。
言い方を変えると、日本代表にとっての”フラット3”というコンセプトは、日本サッカーの総意にはなり得なかったということなのだろうと思います。


一方のアイルランドは自分達の戦い方を信じ、愚直なまでに走りボールを動かした。そして試合終盤になり、クインが投入されると、それに効果があるかないかに関わらず徹底してクインの頭にボールを合わせ、ひたすらこぼれ球を狙って走りこんだように感じます。強い覚悟を持って。
そのやり方を監督も選手もサポも覚悟をしてやりぬいた時に、”アイルランド魂”として見ている者の心を掴んだのではないでしょうか。


自分達の戦い方を信じ、”強い覚悟”をもって最後までやりぬくこと。選手だけがやるのではなくて、選手も監督もサポも協会も信じぬくことができたかどうか、この違いが日本とアイルランドの違いだったのかなと感じています。