フィリップ・トルシエという仕事

昨日日本サッカーミュージアムに行って実物大パネルを見たり、2002年の日本代表の試合を見たりしたのでどうしても前監督のことを考えてしまいます。現代表監督がよく”選手の自主性”とか”自由”とか”個の力”というキーワードで語られますが、では前監督は本当に”管理”とか”規制”でしか語られないようなやり方をしていたのでしょうか。


確かに守り方のルールはガチガチにありました。まず第一にチームとしての守り方のルールを守る。このルールが覚えられない、体で表現できない、守れない選手は代表からは離れていきました。でも、所詮それは守備の組織の問題であって、最後の局面の1対1の場面では”肘や腕をうまく使え”とか個の技術の向上にも触れていましたよね。
そして積極的に選手に海外移籍を説いていたこと、これなどは明らかに”管理”や”規制”というキーワードでは語れない考え方ですよね。サッカーの本場が欧州で日本サッカーでは戦えないという意味ではなくて、積極的に異文化に飛び込んで、甘やかされない世界で生活もサッカーも経験しろ。そこで鍛えられた”個の強さ”は必ずや試合の中のここぞという場面で生かされるし、長い目で見れば選手の人生にプラスになるはずだという気持ちが見え隠れしていたように思います。欧州だろうが南米だろうがアフリカだろうが場所には関係なく、異文化を知り選手である前に人間としての幅を広げるように説いていたように思います。
それはナイジェリアユース組の孤児院訪問活動などにも現れていますね。


現代表監督の能力や功績について語るときに未だに前監督を対比の対象として貶めて表現する方が協会の中にもいるようですが、日本が実現すべき『組織と個のバランス』の按配を語ったり検討したりする前に、かなり自由度が高い放任主義に走ることが日本の為とは思えないのですよね。
少なくとも守備に関してはもう少し”チームとしての約束事”がないとワールドカップのグループリーグでは戦えないと思います。今回のコンフェデではとても良い戦いを見せてくれました。でも、それは対戦相手が日本を深く研究していないことの裏返しでもあると思います。今年の12月に組み分けの抽選が実施されて、そこで日本と同じ組に入った対戦国はグループリーグ突破のために日本の弱点を徹底的に研究することでしょう。組織的に守備をすれば研究されても大丈夫というものではありませんが、現状の日本の守備を真剣に相手に研究されたらと思うと少し首筋が寒くなりますよね。


現在のように”組織・管理は最低、個の自由万歳”という偏った概念にとらわれていると、本当の目的であるワールドカップのグループリーグ突破という到達点がぼやけてしまうように思います。まず目標をそこに置いて、それを達成するために何が足りないのかを冷静に判断して、それをできるだけ埋めていく努力をする。残り1年をきった準備の期間ですが、できることを最大限努力して開幕の日を迎えたいものです。サッカーミュージアムで日本代表の2002年の4試合を見て、あらためて強く思います。日本にとってのワールドカップは出るだけのものではなくて、勝つためのものですよね。結果は神のみぞ知るものかもしれませんが、そこに至るための努力は最大限行ったのか。その意味で東アジア選手権もやはり大事な大会ですね。