信じる力

信じる力というのは、たぶん人が想像する以上のパワーを生み出すことなのでしょう。事実か事実ではないかを議論するのではなく、その存在を信じること。例えば宗教の信仰というのは、その最たるものなのでしょう。
アンゴラ戦後 ジーコ監督会見 スポナビ

ホテルでのミーティングで、自分たちはなんのためにドイツに行くのか話した。このグループ(代表チーム)では、欧州や南米でMVPを取れるような選手がゴロゴロしている。それがなぜ取れないのかというと、自分たちが、自分たちのプレー・力を信じることがまだ足りない。ドイツには観光に行きたくはない。ドイツにはタイトルを狙いに行くんだと。その最終的な23人が欲しい。

監督はタイトルが取れると信じている。選手は信じられるのか。サポーターは信じられるのか、ついていけるのか。

今年の最大の目標は、ワールドカップへの出場権。それをクリアできたことで、自分にとって最高の年だったと思う。そして来年への強化のためにいろいろな大会に臨み、親善試合を行って思ったことは、コンフェデ杯で決勝トーナメントに進めなかったのは、日本の実力相手よりも落ちていたというよりは、レフェリーに問題があった。自分はそれを確信している。あれがなければ、もっと力を出せたのではないかと思っている。その後の東アジア選手権では、相当の緊張感の中で、目いっぱいの中で戦ってきた最初のチームが結果が出ないために、がらっとチームを変えて2戦目3戦目を戦った。ある程度の休養の意味も含めたが、代わって出たメンバーもよくやってくれた。

本大会の出場権をとったことは素晴らしいことで、それについては何ら文句を言う気はありません。お疲れ様でした、と言いたいです。
ただ、コンフェデは2大会連続グループリーグ敗退、東アジア選手権は2大会連続でタイトルを逃す。この実績から考えると、本大会での活躍を無条件に信じられない自分がいます。日本の活躍を望んでいるし、本大会で日本が活躍すると信じたいけど、信じるための基礎の構築が必要なのだと思います。それはコンフェデや東アジア選手権のような大会での目に見える結果や、強化試合での充実した内容。確かにアジアカップのタイトルを確保しましたが、圧倒的な強さを見せたわけでもない。勝負強さは見せてくれたのですけれどね。


信じる力というのは、想像以上のパワーを生み出すのでしょう。例えば前回大会でヒディング監督に率いられた韓国が終盤の猛攻で追いついたり、逆転したりしたように。でも、それを実現するためには、信じる力の前提になるチームの構築というものが不可欠で、そのための体力に裏付けられた運動量や、パワープレーのための共通理解や動き方やボールの引き出し方やゴール前のつめ方。そのようなものが準備された上で、最後に自分たちを信じる力が重要になってくるのだと思っています。


万が一、今のままのチーム状態で本大会に出場したなら、チームの基本ができていると言えるのかどうか、難しいです。もともとジーコ監督は監督の描く理想像を選手に伝えピッチに実現する監督ではなく、監督が理想とする選手を11人選びあとはピッチの中で選手が描くものを見守る、そういう監督であることは理解しています。だからチームの基本というのは最後まで構築されるものではないのかもしれません。だとすると信じる力だけが勝利への拠り所になるのか。このコメントを読んで、そんなことを考えてしまいました。