人間の記憶というやつは…

一昨日のアメリカ戦の内容があれほど悲惨なのに、世間的には悲観論が流れていない理由をつらつらと考えていました。

  1. トリノ五輪が始まったから、世間がサッカーに関心がない
  2. 今年初めての試合だから、試合の内容は問わない
  3. アメリカ戦は特別に悲惨な内容ではなかった
  4. もう慣れた

まあ冗談も半分入っていますが、半分が冗談ということは半分は本気でもあります。


90分間の試合を通してみれば完敗だと思うのですが、どうも完敗という印象が薄い。それは最後の30分の印象がそれ以前のダメダメだった60分間の印象を薄めてしまうからなのかな、などと考えていました。90分間やられっぱなしで0−5くらいで負けていれば相当なショック療法にもなるのでしょうが、『前半は0−2でも後半は2−1』というような、妙に耳に聞こえのいい結果だったり、最後に攻撃を仕掛けたことで、あと2分くらいあれば2点取れたと言うような錯覚を起こしてしまうのかもしれません。人間の記憶は消費者金融のCMでふかわ君が演じているように、後から起こった出来事が上書きされるかもしれないので、『惜しかった』、『もう少しだった』、『良くやった』で終わってしまうのでしょうか。


前半はダメで後半に修正するということができるのだから…という考え方もあるかもしれませんが、アジア予選や親善試合では『惜しかった』で済む試合も、ワールドカップGLでは前半の失点を後半で修正して取り戻すのではアメリカ戦のように手遅れになってしまうかもしれません。ジーコ監督が自らも望んでいたようにTDとしてチームに関わっているとしたら、ジーコ監督の試合の流れを読んで悪い場所を修正する能力も評価されると思うのですが、監督の仕事の大部分は90分間の試合の始まる前までに終わっていると思うのです。数週間単位であったり数ヶ月単位で準備を重ね相手を分析し最良のスタメンと布陣を組む。それでもうまくいかないことはあるかもしれませんが、そこまでの準備をした上で90分の試合の前半から戦えるのではないかと思っています。その上での試合中の修正能力ですね。マネジメント能力の高い監督が準備をして、それプラスジーコさんがTDとしてベンチに座っていたら心強いのですけど、ねぇ。