クロアチア戦とロシア戦を見直した雑感 その2

1998年6月のクロアチア戦と2002年6月のロシア戦を見直した雑感として、守備陣と中盤の感想はこちらで書いたので、今日はサイドとFW陣の感想を少し。


まずは1998年のクロアチア戦の日本のサイドですが、左に相馬選手で右に名良橋選手。相馬選手の左が頻繁に攻撃参加し、右の名良橋選手がバランスを取りながら自重気味でここぞと言う時に上がっていくイメージでした。特に相馬選手は左サイドを深くえぐってのクロスだけではなく、中に切り込んでの右足のシュートなど積極的にゴールを狙っていました。実際にカウントしたわけではありませんが、この試合を通じてFWの選手よりも多くシュートを放っているのではないかという印象です。右の名良橋選手も右足での強烈なシュート力がありましたし、この時の日本代表の両サイドはえぐってクロスの可能性と中に切り込んでシュートの可能性を程よく秘めたサイドのバランスでした。
ただ相手選手との力関係の部分もあるとは思いますが、どちらの選手も抜かれる時はクロアチアの選手にあっさり抜かれていました。相手選手との距離感や抜かれた後の粘りのなさが非常に気になりました。


次に2002年のロシア戦ですが、左に小野選手で右に明神選手。小野選手は直前に体調を崩していた影響もあってか、全体に自重気味の印象でした。右の明神選手は大会を通じて市川選手との併用でしたが、攻撃にも積極的に参加し豊富な運動量で右サイドを広くカバーしていた印象です。
小野選手のサイド起用は当時も喧々諤々の議論があったと思いますが、相手のプレッシャーの厳しい中盤中央での起用は避け、片側にタッチラインを背負うサイドで起点を作りたかった意図や、日本の豊富な中盤のタレントをできるだけ多く同時に起用したかった意図は充分に理解できます。ただ、機能していたかどうかと言われると?マークがついてしまいます。確かに稲本選手や中田英選手との近い距離でのパス交換には魅力がありました。しかし、小野選手からの必殺のスルーパスなどがもっと出てても良かったのかな。1試合目のベルギー戦で、同点に追いついた鈴木選手のゴールにつながる長いパスは中盤の低い位置からの小野選手の見事なパスですから機能していなかったとは言い切れませんが、機能していたと言い切るにも苦しいですね。小野選手がサイドを深くえぐるわけでもないので、サイドの回廊は小野選手が中に入った時に3バック左側の中田浩二選手がオーバーラップして使うか、左前のスペースはFWが流れて使う場所というようなイメージがチームに最初からあったのかもしれません。
中盤のバランスを取るなら小野選手、縦に前に突破したいなら三都主選手、守備を重視したいなら服部選手と選択肢の豊富さがあるからこその小野選手のサイドスタメン起用なのかもしれませんけれど。


そして右サイドですが明神選手もその場その場でバランスを取る天才ですね。左から攻撃を作った時はファーサイドに詰め、自らも上がって中田英選手とのパス交換で突破を狙う。守備時には相手を執拗にマークし、時に中に絞ってボランチのような役割もする。前の監督が「明神にポジション取りの指示をしたことがない」と話していたのを聞いたことがあるような気がしますが、まさに右サイドのバランサーでした。
そしてより攻撃的に右サイドを突破したければ縦に強い市川選手が交代で出てくるのですから、層の厚い両サイドでしたね。試合途中で稲本選手と市川選手が交代すると、明神選手が中に入って中央の守備力が増し、右サイドの攻撃力も増す。選手を1人交代するだけで2箇所のポジションの修正ができる。味な選手交代もありましたね。

話が広がりすぎましたが、一人の選手で様々な役割を担うサイド起用ではなくて、サブの選手も含めて配置する選手を変えることで役割を修正できる両サイドだったと思います。


続いてFWの話。
1998年のFWのスタメンは中山選手と城選手。そして交代で出場したのが岡野選手と呂比須選手でした。中山選手と城選手は積極的に相手ボールをチェイスし守備でも貢献していましたが、決定的なチャンスは中田英選手から中山選手に通った1本だけでした。城選手も何本かシュートを打っていますが、相手の選手を外しきれていなかったり、オーバーヘッドが違う方向に飛んでいったりと、やはりクロアチアの守備の術中にはまっている印象はぬぐえませんでした。クロアチアの守備陣やベンチが本当にヒヤッとしたのは中山選手のシュート1本だったのではないでしょうか。岡野選手もスペースがないと活躍できなかったし、最後に出てきた呂比須選手選手はヘディングでの惜しいシュートがありましたが枠を捉え切れませんでした。
決定力といってしまえば一言なのですが、この試合では決定的なチャンス自体をあまり作り出せていないわけで、決定力不足をFWだけの責任にするのは違う気がしました。帰りの空港で城選手が水をかけられた事件などもありましたが、選手の個の力を問う以前の段階だったと思います。


一方2002年のFWのスタメンは柳沢選手と鈴木選手。単独で相手を抜き去って得点を決めてしまうようなFWが未だに出現していない中で、チームとしてのFWの役割が課されているような印象でした。もちろんチャンスがあれば自らも得点を狙うのは当然としても、それ以外でもサイドに流れて攻撃の起点を作ったり、下がってきてポストになりボールを受け中盤の選手に前を向いた良い状態でプレーさせる。守備でも相手にチェイスをかけパス方向をサイドに限定させる。3試合目のチェニジア戦になりますが、鈴木選手が相手選手に並走し自陣コーナー近くまで守備をしていたのが印象的でした。FWが得点できるに越したことはないけれど、万が一得点できなくてもチームとして得点できればOKという共通認識がしっかりとできているチームだったのではないでしょうか。日本の特徴である中盤の豊富なタレントを生かし、結果的にも稲本選手や中田英選手が得点しているのですから、狙いは成功だったのかなと思います。


ただ、これはどちらの時代のチームにも言えることですが、セットプレーからの得点の気配の感じられなさは寂しかったですね。FKが直接入りそうな雰囲気もなかったし、CKやFKからヘディングシュートが炸裂しそうな雰囲気もなかった。本大会のグループリーグや決勝トーナメントで勝利するためには、そのような飛び道具での得点が必須なように思います。


さて、最後にベンチの話。
ベンチの話と言っても采配や能力ではなくて絵的な見栄えの問題です。試合中にベンチの表情が抜かれるときに岡田監督は地味でしたね。GKコーチのマリオ氏などは派手だったのですが、1998年のベンチは全体に地味だったと思いました。まあ、試合展開がそうさせたのかもしれないですけれどね。
しかし、2002年のベンチの派手なこと派手なこと。テレビカメラも心得たものでベンチ映像を抜く時は、左から山本コーチ、フィリップ、フローランの3人がピッタリと一つの画面に収まるように映すのです。山本コーチはジャージですが、フィリップとフローランがスーツ姿で足を組んでいるのは絵になりました。得点時のベンチの喜び様はフローランが監督なのではないかと思うほどでした。その指導方法で様々な議論を巻き起こしたフィリップですが、その映像を世界に配信されても絵になる監督だったと思います。


かなりの長文になってしまいましたが、2006年のドイツ大会を前にして日本の歴史である1998年と2002年の試合を今再び見るというのも非常に面白いものがありました。皆様も試してみてはいかがでしょう。とても楽しいひと時を過ごせることは請け合いですが、見終わった後に一瞬の寂しさを感じちゃうかもしれないですけどね。