またまたヒデメール、3/10号

昨日のコメント欄でゴールドレンジさんに教えていただいたヒデメールですが、意味深というか重傷ですね。
日本代表の方向性 Hide's Mail 2006.03.10


前半の『“その試合での目的”に対する疑問』という部分は、短期目標の設定がなされていないことに対する不安でしょうか。
中間の『日本代表は“パスワークをすること”に固執するかのよう』という部分は、チームの戦い方の意思統一がされていないことに対する不安。
後半の『選手達はこれからWC本番までの3ヶ月、いったい何を目的にすればいいのか』という部分は、もう…。


アジア予選の初期段階でチームが苦戦していた頃には、よく中田選手の口からチームメイトに対する要求が出ていたように思うのです。もっとコミニケーションを取らなければダメだとか、自分のやりたいプレーのアピールをしろとか。そんな中で予選を苦労しながら戦ってきて、本大会の出場権を獲得した。予選の試合では良い内容の試合をすることも大事ですが、まず勝利という結果を残さなくてはいけない。勝ち点を積み上げるための良い試合内容であり、チームの質の向上だった。選手個々の思い入れは多少違うけれども、根本のところでの目標設定はただ一つ、「ワールドカップ出場」という単純明快なもので、そのための勝利であり、そのためのチーム戦術だった。
しかし、ワールドカップイヤーを迎え、逆に目標を見失ってチームが意思統一をされていない状況、チームが同じ方向を向かい力を合わせていない不安を感じているのではないでしょうか。


今の時期に選手それぞれの思惑が違うことはしょうがないと思います。少なくとも、選手個人を責めることはできない。過去の試合への使われ方などから、代表候補の中に次の3つのグループがあるのが現状だと思います。

  1. 怪我などがなく召集されれば必ずスタメンの選手
  2. 毎回召集はされるが、主力がいなければスタメンで、いれば控えにまわる選手
  3. 主力がいなければ召集されるが、控えにまわることが多く、主力がいれば召集されない選手

個々の選手は現在の日本代表における自分の立場を強烈に理解していると思うし、その立場の中でいかに這い上がっていくかを全力で考えるでしょう。グループ2の選手が途中から出場機会を与えられたら、監督にアピールするためにがむしゃらに戦うでしょうが、必ずしもそれはチーム全体のことを考えた行動に合致するわけではない。ボスニア・ヘルツェゴビナ戦後の稲本選手の談話ですが、

稲本潤一
アピールする場面で出場できて良かった。伸二(小野)が前の方にいても、数的不利になっても、自分としては後ろには行きたくなかった。こっち(のクラブ)で出場を続けることが(代表への)アピールになると思う。

という、あくまで自分をアピールしたい気持ちが強く出ていますよね。これをもって稲本選手について「チームのことを考えていない」と批判するのはお門違いで、監督が作り出している競争の中では当然の結果だと思います。


しかし、同じピッチに同時に立っていた選手の中でもこのように考えている選手もいるわけです。

宮本恒靖
ボランチも下がって、もっとコンパクトにするように、福西やヒデ(中田英)に言えば良かったと思う。
(相手にクロスを入れられたことについて)もっとマークも間合いを詰めて、中を締める人を置かないと。前半のようなプレーをずっと続けるのは無理。本大会は(いいプレーの時間帯を)伸ばすことが大事。

宮本選手は恐らくグループ1の選手でしょうから、自分がアピールすることよりもチーム全体のことを考えていますね。その中でもDFとして守ることを中心に考えている。DFですから、当然のことです。


こちらはグループ1に入るのかグループ2に入るのか微妙な感じの小笠原選手のコメントですが、

小笠原満男
(選手間の話し合いは)やることはお互い分かっているから、特にはやらなかった。いつものパスが(相手に)ひっかかってしまった。中盤でボールを回しつつ、FWにボールが入ってからの展開ができなかった。あそこで(ボールが)収まっていれば良かったけれど、失点してから相手を勢いづかせてしまった。

本当に「やることが分かっている」のか。「やることが分かっている」と思ってしまっているだけなのではないか。または小笠原選手の分かっている「やること」と、他の選手が分かっている「やること」は違うのではないか。
先に書いた現在の自分の存在するだろう日本代表におけるグループによっても違うだろうし、FWやMFやDFというポジションによっても違うかもしれない。また、国内組でこの試合が4試合目になる選手と海外組としてこの試合から合流してきた選手では違うかもしれない。
決して小笠原選手の発言を責めているのではなくて、それは選手が判断することではなく監督が徹底することだと思うのです。


目標を立て、目標を達成するために選手の役割分担を考え、それを伝える。試合で選手が実行した時に、うまくいかなかった部分は検討・反省し次の目標として改善する策を考える。それは選手を代える事かもしれないし、フォーメーションやポジショニングを変える事かもしれないし、戦術を変えることかもしれない。1試合単位でもそのような”テーマ”となる事柄はあるだろうし、合宿からの4試合という中期的な活動期間を通じてもあるだろうし、予選を突破して本大会出場を決めてから本大会までの長期間の単位でもあるでしょう。


ワールドカップ予選を戦う中ではそのような目標を監督が指し示さなくても、選手達のそれぞれ違うだろう思惑やサッカー観は『すべてはワールドカップ出場権のために』という一言で集約されていたでしょう。しかし、昨年の東アジア選手権やホンジェラス戦以降、チームの中で行われた試合から課題を見つけ、検討し、改善する。次の試合に目標を設定し、実行し、検討する。このようなサイクルが行われている気配がありません。予選期間はそれがなくても選手の意思統一には最低限の堤防(予選突破)がありましたが、実際の23人枠の争いやスタメン確保の競争が始まればチームの共通意識と言うのは選手の自発的なものとしては発生する要因がありません。


もちろん競争は必要だし、監督の中で選手の優先順位があることも当然ですが、それらの個々に思惑がバラバラな選手をピッチ上に11人立たせるのが監督の仕事ではなく、それらの背景もサッカー観もバラバラな選手達をチームの勝利のために、またはこの試合の目標として立てたものの達成のために一つにまとめるのが監督の手腕なのだろうと思うのです。
それらのことを考えた上での中田選手の考える大問題というのは、ワールドカップを直前に控える現在の日本代表は空中分解状態なのではないかということです。空中分解が言いすぎなら、少なくとも共通した目標は見失っている状態とでも言えばいいのでしょうか。予選中は最低限「予選突破」という共通目標がありましたが、現在は試合中の「共通理解」どころかチームとしての目標も見失っている状態なのではないだろうか、そんなことを考えました。

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