日本代表についての戯言

ワールドカップの日本の初戦まで3ヶ月を切ったというのに、今ひとつ燃えない、気持ちが盛り上がらない、と。
日本代表というのは日本のサッカーが好きな人々にとって唯一無二の存在であって、好きとか嫌いとかで語られる対象ではないのかもしれないけれど、それでも今の日本代表にはハートを熱く揺さぶるような何かがない。もちろん今の代表に対して「負けてしまえ」などという気持ちはなく、試合をするからには勝って欲しいけれど、それでも何かが物足りない気持ちは残ります。2002年の大会が終わってからの4年間、果たして日本サッカー界は日本代表が強くなるための最大限の努力をしてきたのか。『違う監督が指揮をとったり、違う選手が代表に選ばれてプレーをしたら、絶対に今よりも強くなった』、などと言う気持ちはありません。アジアカップでの優勝は評価に値するものだし、それを貶める気持ちもない。でも、何かが足りないと思うのです。


例えば、5月15日にある23人枠の登録選手の締め切りですが、今からサプライズがないだろうということが想像がついてしまう。初戦のスタメンについても、かなり想像がついてしまう。監督の頭の中にある確固たる選手の序列。競争原理の無さ、建前上の競争。
総論である『日本サッカー界は日本代表が強くなるための最大限の努力をしてきたのか』ということを各論に落とすと、『日本代表の左サイドを最強にする努力をしてきたのか』とか、『日本代表のボランチを最良にする努力をしてきたのか』とか。左サイドの問題で言えば、三都主選手の他に、もっと試すべき選手はいなかったのか。複数の選手を試した上で、それでも三都主選手が最良と判断したのなら、現在の三都主選手のパフォーマンスに満足するのではなく、もっともっと潜んでいる能力を引き出すために三都主選手のプレーについて指導なり要求なりを課してきたのか。ボランチも同じですね。チームを攻撃的にするために、あえて守備意識の高いボランチを置いてチームのバランスを試してみる必要はなかったのか。序列通りスタメンを並べるのではなく、最良の組み合わせを探る努力はしたのか。


ジーコ監督の中では様々な比較検討がなされて現在の形になっているのだとは思いますが、どうもすっきりしない。Jリーグの試合を生で見るために、最大限の努力をジーコ監督がしたのか。節税対策でブラジルに頻繁に帰っているその姿からは、『日本代表を強くするための、最大限の努力をした結果』とは思えないのですよね。もちろんジーコ監督には思い描く日本代表の理想像があって、それに対して一番近いのが今の選手達だと思うのですが、どうも感情移入できないというか、共感できない。『違うんじゃないの? 別のやり方があるんじゃないの?』という、疑問がついてまわるのです。


川淵会長を初めとして、現在の体制を支持する人たちは、現在のジーコ監督のやり方を信じられるから結果についても信じていられるのでしょうね。それに対してジーコ監督のやり方を信じられない私は結果に対しても悲観的。もちろん勝って欲しいし、GLを突破して欲しいけれど、結果というのは費やした努力に対して結果的にバランスが取れてしまうものだろう、という気持ちもある。
信じていないから4年間の代表チームの成長が私の曇った目には見えなくなっているのか、本当に4年間をかけて代表チームは成長していないのか。日韓大会の直前に、「チーム内の選手を競わせることに熱心で選手を固定しないから、チームの連携ができない」という批判があったように覚えていますが、活動期間の後半はほぼ選手を固定してきた現代表でも選手の連携が出来ているとも思えないので、果たして序列を決めて選手を固定するメリットはどこにあるのか。
そんな疑問も試合が始まる直前までで、いざ実際に試合が始まってしまうと声を枯らして応援してしまうのが、唯一無二である日本代表の魅力であり悲しさなのかもしれません。


こちらのヒデメールにおける中田選手の感じている危機感や悲壮感に溢れる言葉の重さに対して、こちらで川淵会長の話している言葉の軽さ。どちらが正しいのかは分かりませんが、この二者の間にあるギャップの大きさが理解できない。結論はでないけれど、あと3ヶ月で結果は出ます。