久しぶりのナンバー誌

今日コンビニに寄った時に、久しぶりにナンバーという雑誌を買いました。買わなくなった理由は…、まあ置いておきましょう。まだ掲載されている記事の半分も読んでいませんが、その中でも気になった部分についていくつか一部引用します。


まずは木村元彦さんによる、オシム監督に対するクロアチアの対戦相手としての日本代表について。以下のインタビューは千葉のトルコ合宿中(=ボスニア・ヘルツェゴビナ戦前)のもの。

−日本の両サイドは、右のスルナと左のパビッチに相当苦労するでしょうね。

クロアチアのあの両翼は速いだけではない。運動量も多い。司令塔のクラニチャルを自由にさせるために周りが走り回るんだ。ただ、パビッチも加地より速くはない。俺はそう思うよ。スルナが侵入してくる左サイドをケアする人材も日本にはいる。問題は左の起用だな。これは役割による。アレックス(三都主)を使うなら、その後ろにディフェンスのできる選手を置かなければならない。ジーコは今後もディフェンスを3か4かで試して行くことになるだろうが、今のところ、オフェンスはいいが、ディフェンスには問題が残る」


こちらは大宮との開幕戦を終えた後(=ボスニア・ヘルツェゴビナ戦後)の言葉。

−日本の仮想クロアチア戦はやはり左サイドで大きな問題が起こりました。

「これは批判でもアドバイスでもないが……。ジーコのやっているシステムが効率的にできているかどうかは疑問だ。選手1人ひとりはエレガントにプレーしているが、チームに攻撃的な選手が多すぎる。アレックス、ナカタ、ナカムラ、オガサワラ、クボ。5人もいる」

攻撃的な5人の選手の中にタカハラが入っていないことが微妙に疑問ですが、単純に抜けただけと理解すればオシム監督が考えるあの火の日本代表のフィールドプレイヤーの中での守備的な選手は、カジ、ミヤモト、ナカザワ、フクニシの4人ということでしょうか。
10人のフィールドプレイヤーのうち、5人が攻撃的で5人が守備的という人数が合っていれば済む問題でもないとは思いますが、最初のインタビューでも語っているように、三都主選手を使うなら後ろに1人守備に強い選手を置いてバランスを取る必要があるという点について、まったくの同意です。
オシム監督に言わせるとクロアチアとは強さのレベルが違うボスニアの攻撃にさえ持ちこたえられなかった日本代表のほぼベストメンバーでの守備が、同じメンバーのままで本番でもクロアチア相手に機能するとは思えないのですよね。



さて、こちらは戸塚啓氏による、ボスニア戦のレポート。
本文中の記事よりも文末に載っている大住良之さん、後藤健生さん、西部謙司さん、清水秀彦さんの指摘が興味深いのですが、その中での何人かが指摘しているボールをつなぐ段階でのパスカットされる問題の対策について。以下、戸塚啓氏の本分より。

(後半立ち上がりの劣勢の場面で)フィフティ・フィフティのボールを使うべきだった。パスの確率的には五分五分かそれ以下でも、前線へボールを供給することで自陣でのミスを回避する。しっかりとしたビルドアップを意図的に放棄することで失点のリスクを抑えるべきだったのだ。
(中略)
相手に傾いた流れを引き戻すためには、「飛ばし」のパスを使うという一時的な緊急避難をするべきではなかったか。


以下は大住良之さん。

クロアチアと戦う時に)激しいプレスディフェンスをかわすには、パス回しのテンポを上げる必要がある。ボスニア戦のように「止める、見る(判断する)、パスをする」というようなリズムでプレーしていたら、たちまち相手に囲まれてしまう。

後藤健生さん。

攻守に約束事がなく、ボールが出てから周りの選手が動きを考えるので、攻めは個人の(つまり中田英と中村の)頑張りと発想に依存するだけ。
(中略)
レーニングの時間が足りなかったのは気の毒だが、同じメンバーですでに何十試合も戦っているのだ。チーム作りに、もっと根本的な問題があるに違いない。

西部謙司さん。

最も深刻なのは自陣でのつなぎのパスに失敗が多発したことだ。そのために押し込まれる時間が続き、サイドの数的優位が保てなくなり、ハイクロスの脅威にさらされ続けた。
アメリカ戦でもそうだったが、押し込まれたときに相手の攻撃の流れを断ち切れない。ショートパスをつないでばかりでは、相手のプレッシングにねらい撃ちされてしまう。いったんFWにボールを入れて、押し上げることも必要だろう。ロングボールばかりでは現在のチームのよさが出ないが、ショートパスばかりでは苦しくなる。

清水秀彦さん。

ポゼッションサッカーを目指すのか、より現実的なサッカーで勝利を追求するのか。ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で浮き彫りになったのは「理想と現実」だ。
(中略)
攻撃的に戦うというジーコジャパン当初のポリシーは大いに共感できたし、この3年半における選手たちの奮闘も十分に評価したい。とはいえ、W杯は1点を巡るサバイバルである。
(中略)
だからこそ守備の「穴」を修正し、勝つための戦術としてカウンターを検討しておくべきだろう。たとえば4バックだが、なぜ三都主の左SB起用にこだわるのか。ウィングならともかく、左SBとしての彼の守備能力の欠如は明らかである。失点を最小限に抑えるという危機管理の上でも、三都主よりも守備能力の高い中田浩を置くのが道理だ。

ふう、長い一部引用でした。一部引用は引用者の都合の良い場所だけになりがちなので、本当は全文引用しないと筆者の本当の意図は伝わらないと思うのですが、それもいろいろと難しいので全文はナンバー誌649号を買っていただくか、立ち読みしてください。



さて、攻撃的サッカー、ポゼッションサッカー、個を生かすサッカー、自由で楽しいサッカー。言葉はいろいろありますが、組織や戦術ありき、というサッカーのアンチテーゼのようにスタートした現代表ですが、本大会という同格もしくは格上との対戦が現実的となった今、本大会の対戦相手よりも弱いであろうボスニア戦でもこれだけの課題や提案が目白押しです。”攻撃的に”できればいいと思います。”ポゼッション”もできればいいと思います。”個を生かす”こともできたらいいでしょう。”自由で楽しい”サッカーを見たいです。これらを全て『理想』としてはまったく同意できるのです。自国の代表チームがそのようなサッカーを展開してくれて勝ってくれたら、それはもう最高です。でも、試合と言うのは対戦相手のあるものですから、誰も彼もが日本のやりたいサッカーをやらせてくれるわけでもない。


例えば実力的には日本と同格以下であろうと思われるアジアにおいても、予選やアジアカップであれだけ苦労しています。結果的には予選突破やアジアカップ優勝という、文句のない結果を残していますが、それらの試合の内容は、攻撃的でポゼッションできて個を生かして自由で楽しいサッカーだったのでしょうか。当然、そんな試合はできませんよね、対戦相手がいるのですから。対戦相手だって、何とかして日本に勝とうとしているのですから、日本のやりたいようにはさせてくれません。


日本と同格以下と思われるアジアでもそうなのですから、日本と同格以上と思われるワールドカップ本大会ではどうなのでしょう。日本のやりたいサッカー、自分たちのサッカーをやらせてくれるのでしょうか。これも当然否ですよね。予選やアジアカップ以上に苦しい戦いになるのでしょう。日本の中盤に時間と空間の余裕を与えてくれるとは思えないし、楽にボールをまわせるとも思えない。まあ、8年前のクロアチア戦のように、相手が意図的に日本にボールを持たせてリアクションを鋭く狙ってくるようなことがあれば別ですが、基本的には日本のペースで戦えるとは考えにくい。
そうすると代表チームの使命がワールドカップに出場して良い成績を収めることなら、おのずと自分たちよりも強いかもしれない対戦相手に対していかに勝つかがテーマになるのではないかと思います。まあ、最初から「何勝何敗と言う気がない」なら、話は別なのですけどね。少なくとも私は楽しんでいる日本代表よりも、勝って喜んでいる日本代表を見たいのです。


それでは10人でガチガチに守って2人で得点を取りに行くサッカーでも勝てばいいのか、と言うことになるかもしれませんが、それが日本人に向いているならそれでもいい。でも、結局のところ1人や2人のFWだけで得点にまで至るようなスーパーな選手も見当たらないし、10人で守ったからと言っても、高さのある相手のクロスにさらされ続けたら守りきれる保証もない。日本人による、日本人の特徴を生かしたサッカーをするしかない。しかし、それをするためには、それを支える選手も必要です。例えば中盤のパスが特徴なら、限られた時間や空間の中でそのパスを生かすためにどのようなFWを起用して、どのような守備組織を構築するのか。


そこで結局冒頭のオシム監督の言葉に行き当たるのです。攻撃と守備とのバランス。後半の記事でのショートパスとロングパスとのバランス。そして理想と現実とのバランス。今の日本代表にそれらのバランスがとれているのか。
それ以外にもこれらの引用記事には含まれていませんが、選手起用における競争と固定のバランスやチーム内での緊張と馴れ合いのバランス。選手と監督のバランスもあるかもしれません。それら様々なバランスが崩れているように思えるのです。原因は単純だと思うのですが。


このエントリーに関連してはいないけれど、今日、他で教えていただいた日本代表に関連するリンク
イヴィツァ・オシム、W杯を語る クロアチア・サッカーニュース
代表チームからみたサッカー文化の違い サロン2002