中田後

サッカーマガジンの4/25号を表紙の「中田英寿主義」という見出しにつられて買いました。読んだのはもう2日前なのですが、いくつか思ったことを。


まず、見出しが誇大広告すぎ。中田選手についての特集は驚くほど内容が薄かったですね。ヒデの1週間を追跡したコーナーがあったのですが、愛車にメルセデスBMWとポルシェを持っているんだという部分が私的には「へぇ〜」と思ったくらいで、他は特集と言うには厳しかった。
でも、やはり読んだ後には考えてしまうのですよね、日本代表の中田後を。


ヒデがフル代表に鮮烈デビューしたのが1997年のアジア最終予選。今年が2006年ですが、怪我でもない限りはドイツ大会のメンバーとして選ばれることは確実でしょう。ドイツ後にはささやかれているように代表を引退するのか、それとも思い切ってサッカー選手を引退してしまうのかは分かりませんが、ひとつの分岐点になる大会なのは確かでしょう。


代表にしてもクラブにしても、常に選手というものは流動的だし入れ替わるものですが、日本代表に10年間という長きに渡り君臨し貢献し続けた中田ヒデ選手のいない日本代表というものが想像つきません。もちろん、アジアカップやいくつかの親善試合では中田選手のいない日本代表の試合も経験しています。でも、その試合を見ながらも、心のどこかで大きなエクスキューズがあったのですよね。「もし、ここにヒデがいれば、日本代表はもっと強くなるはず。日本代表は、こんなものじゃない。」というような、気持ちが。


プレイヤーとしての中田ヒデ選手を考えれば、19歳で日本代表に加わったときからスタイルは微妙に変化しているのかもしれません。「自分が生きる」ためのプレーから「まわりを生かす」ためのプレーへの変化。これを成長と捉えるのか、それとも退化と捉えるのかは考えの分かれる部分でしょう。試合を決めるパスを出す選手から、試合を作るタイプの選手への変貌。彼個人のプレーを考えるなら物足りないことは確かなのですが、この10年間の日本代表の中での選手構成の中の立場、若手から中堅そしてベテランへと自らの立場が変わる中での必要な変化だったと思います。フィールド上でのポジションがFWだったら、ここまで大きく考え方が変わることもなかったかもしれませんが、中盤というポジションの中でよりチーム全体を見渡すことが求められたことは仕方がなかったのだと思います。


そしてプレースタイルと違って一貫して変わらなかった彼の自己主張。メディアとのトラブルを含めて、自分の露出の仕方に対する考え方は、ほとんど揺らぎませんでした。これは所属事務所の方針や、もちろん彼自身の考え方もあるのでしょうが、日本のメディアが素顔の中田英寿を抉り出す技量がなかったことが残念でなりません。部数が売れるとか、視聴率が取れるとか、そんな入り口での記事や取り上げ方ではなくて、もっとサッカーに対する思いとか、サッカー哲学について深く抉り出し素顔を見せられるようなプログラムがあったならよかったのに、そんなことを考えてしまいます。


このドイツ大会を最後にヒデが日本代表を引退してしまうのかどうかは分かりませんが、中田後の日本代表を考えることはかなり寂しい。特に、選手たちの気持ちが緩んでいるときに引き締める役目がいなくなってしまうのではないか、その不安もあります。嫌われることを嫌う日本人。チームの中で、意見が対立してもなお厳しさを求められるタイプは他にいるのか。楽な方に逃げてしまうのではないか。そんな不安が頭をよぎります。
考えてどうなることではないのですが、「中田後」というものについて、心の準備をしなければいけない時が近づいているのですね。