ドイツ日記 10日目 そして最終日

helguera2006-06-24

朝5時に起きて、出発の準備をする。今日が最終日だ。
5時半にはホテルをチェックアウトし空港に向かう。昨夜2時に寝たというのに、何という慌しさ。まあ、飛行機で寝ればいいんだけどね。
ホテルから空港まではシャトルバスに乗ることもなく、渡り廊下のような通路を歩くだけ。非常に楽だ。もし、フランクフルト市街地に宿泊していたら、何時に移動を開始するのだろう。


帰りもロンドンのヒースロー空港で乗継だ。しかし、フランクフルトを朝7時半の飛行機に乗るのに、ヒースロー発成田行きは午後1時50分発。ヒースロー空港で5時間以上の乗り継ぎ時間がある。ターミナル内で爆睡するわけにもいかないし、休憩の場所を確保したら人間ウォッチングで時間を潰した。空港というところは、世界各地から様々な人々が集まるところだ。飛行機で移動をするのだから、それなりの経済層の人々かもしれないが、それでも普段日本で生活しているとここまで多くの外国の人々を見ることは少ない。まあ、サッカー絡みでの旅なので、どうしてもあいつと競り合えるか、という感覚で見てしまうことが多い。決して美人を探しているわけではない。


ウトウトしながらも5時間を過ごし、ようやく成田行きの飛行機に乗り込んだ。行きと同様ワールドトラベラープラスというエコノミーよりちょっとだけ広いシートなので極めて快適だ。こんなシートに慣れてしまうと、これから海外に行く時に、エコノミークラスに乗れなくなってしまう。今回の旅は4年に一度の特別な旅なのだから奮発しているだけで、毎回このように贅沢はできない。
さて、これから飛行機に缶詰になる時間を使って、日本代表や今回の旅について振り返ってみようか。


まずは、日本代表。
まだ、ドルトムントショックが癒えていないので、とりとめなくまとまらない内容になるが、感想を書き残そう。

1. 協会とマスコミとスポンサーについて
金儲け
今回の1分2敗勝ち点1得点2失点7得失点差マイナス5という無残な結果はどこから来たのだろうか。3勝から3敗まで、様々な勝敗の組み合わせがあるなかで、3敗についで2番目に最悪な結果だった。ワールドカップ本大会が楽に勝てる試合になるとは思わないが、勝ち負けの前にかなり無残な試合内容だった。この4年間にわたりお題目のように唱えてきた「自分たちのサッカー」は実現できたのだろうか。「自分たちのサッカー」がいまひとつ何を指すのか明確ではないが、それでもオーストラリア戦とクロアチア戦とブラジル戦に共通した狙いがあったようには思えなかった。選手が走らない省エネサッカーという部分は共通していたが、それでは勝てない。そこにいたる過程の中で監督が悪いのか選手が悪いのかと原因を考えると、両者に非はあると思うがそれ以上に協会に端を発する構造そのものに問題があるように思えてならない。


とにかく日本代表絡みでお金を儲けたい協会。話題としてだけ取り上げて、視聴率が取れるとか新聞が売れるとか、売上を確保したいだけのマスコミ。そして選手や代表をキャラクターに使うことによって、商売につなげたいだけのスポンサー。
もちろん協会もマスコミもスポンサーもこれまでの日本サッカーの発展の中で、様々な貢献をしてきたことは確かだろう。でも、事をここ4年間だけに限定して考えると、この3者の癒着構造の中で、誰が真剣に日本代表の強化に心を砕き、相反する利害について常に優先的に代表の強化を判断基準にしてきたものがいたのだろうか。


結局のところ、監督ジーコという選択は、代表の強化よりも金儲け方面に御しやすい監督素人を起用したに過ぎないように思える。監督経験者ならスポンサーの意向に関わらず自身が使えないと思えば外しただろう。結果を出すことだけが監督として生き残っていく最大の源であり、協会の意向を聞いているだけで結果が出なければ次の就職口がなくなってしまうのだから、自らの判断による選手起用は何事にも優先されるはずだ。
しかし協会サイドから見れば、大事なスポンサーがキャラクターとして使っている選手を外すような監督は金儲けとしては受け入れがたい。そこには、代表の強化という概念は存在しない。


根拠のない楽観主義
2年前の1次予選の2試合を見ただけで「この監督じゃダメだ」と思っていたが、そのように思う人は少数派で、世間には根拠のない楽観論が流れていたような気がする。楽観的な姿勢が悪いことだとは思わないが、状況を冷静に分析したうえでの楽観なら良いが、すべての条件を自分たちに都合の良いように解釈して楽観していたような気がする。根拠のない楽観。


2度の東アジア選手権の失敗。2大会連続のコンフェデグループリーグ敗退。これらの出来事を、親善試合での善戦で打ち消そうとしていたように思う。例えば前の代表チームはコンフェデで準優勝しても、ワールドカップではベスト16だった。それを考えれば、コンフェデでさえGL突破できないチームが、ワールドカップのGLを突破できるわけがない。コンフェデの失敗を本大会までの準備に生かすのなら救いようもあるが、相手にとっての消化試合であるブラジル戦の善戦を心の拠り所にした楽観主義は、砂上の楼閣にしか思えなかった。アジアカップの優勝は純粋に評価しなければいけないが、今回のワールドカップでのアジア勢の苦戦を見れば、それが本大会の楽観の切符にはならないことは、今にして思えば考えなければならない優勝だった。繰り返すが、アジアカップの優勝と言う結果は素晴らしい。しかしそれは本大会での活躍に結びつくものではなかった。


2. 監督と選手について
“自由と自主性と話し合い”と言えば聞こえが良いが、悪い言い方をすれば無為無策。それで予選を勝ち抜けたのだから、アジアの中では日本のポジションというものを確立できたのだろう。でも、それでは本大会では通用しなかった。
個と組織を2者択一のように論じる向きもあるが、例えばオランダのサッカーは個の技術を追求するだけで、組織的な追及はしていないのだろうか。あれだけきちんとした動きの約束事は、自由と自主性と選手の話し合いだけで確立できるものなのだろうか。
“試合をやるのは選手だから”という言葉もよく耳にしたが、それでは各国の代表チームや有力クラブなどは、どうして大金を積んで有名監督を招聘するのだろうか。


ブラジル戦が終わってから、オーケストラについて考えている。良いオーケストラには良い指揮者が必要だと思うのだが、“個の技術”すなわち奏者の演奏技術をひたすら磨けば指揮者がいなくても自由と自主性と話し合いだけで良い演奏ができるものなのだろうか。そうであるなら、世界的に有名な指揮者など存在しない。サッカーで言えば世界的に有名な監督など存在しないことになる。しかし、現実は違う。なぜモウリーニョは評価されるのか。チェルシーは高い技術を持った選手の自由と自主性と話し合いだけで保っているチームなのだろうか。


個か組織かという、本来バランス軸の中で語るものを無意味な2者択一論に意識的に置き換えているとしか思えない日本サッカー協会の姿勢は激しく疑問を感じる。まるで自分たちの組織が独裁を許しているのを正当化するために、「組織よりも個が優先」と唱えているようにしか思えない。自分たちの組織が機能しないからと言って、そんな無謀な論はないだろう。世の中のいたる構造を見ても、基本にはしっかりとした組織があり、その上で個の個性を発揮できる環境を作れるのが優れた管理者ではないだろうか。その意味で、日本サッカー協会が機能している“組織”なのかどうかは、次の監督選びで同じ過ちを繰り返すかどうかではっきりすると思う。
川淵氏も自らの責任論は一時脇において、もう一度この4年間が失敗だったことを素直に認め、同じ過ちを繰り返さないためにも議論のすり替えはせず、日本代表の強化にとって最善の選択をして欲しい。Jリーグの創設や日本サッカーの発展に様々な貢献をしてきたが、この実績を汚さぬためにも賢明な判断を期待する。


3. 代表とサポーターについて
ニュルンベルグドルトムントで出会ったサポーターの中には20代前半と思われるサポーターも多かった。彼らは確実にドーハをリアルタイムで経験してない。ワールドカップに出ることはギリギリの戦いであり、ワールドカップで勝つことはどれだけ難しいことなのか。もし、日韓大会から見始めていたら、ワールドカップの勝利などそんなに難しいものには思えないかもしれない。
その所為か、お祭り気分で来ている人が多いように思えた。


確かに4年に一度のお祭りだから、大いに盛り上がって楽しめばよい。しかし試合が始まれば戦いなのだから、もう少しの厳しさが欲しい。コスプレや飾りにこることも楽しいが、心のそこから応援して勝利をすることの喜びを感じて欲しいと思う。リアルタイムで経験していない人にドーハの時の喪失感やジョホールバルの時の歓喜を説明しても伝わらないだろう。日本がもう一度アジア予選での敗退を経験しない限り、ギリギリの勝負という雰囲気は戻ってこないのだろうか。日本が負けているのに会場のウェーブに参加している日本人を見るのは悲しいものがあった。


なんだか苦言ばかりになってしまうが、結局のところこの4年間で何を得て何が残ったのだろう。良い部分も考えたいのだが、正直今は思い浮かばない。自由と自主性とあれだけ言われてもリスクチャレンジの姿勢は生まれなかったし、自ら走る選手も現れなかった。4年前には持っていた組織的な守備すら放棄して、攻撃もアドリブ守備もアドリブという、なんとも珍しいチームになってしまった。本当に何を得たのか、分からない。失ったものが大きすぎる。


4. ドイツと2006ワールドカップについて
全体的な印象
最後にドイツの感想など。初めてのドイツだったが、訪問する前は“質実剛健”とか“勤勉実直”という印象を持っていたドイツとドイツ人だったが、行ってみればかなりいい加減だった。まあ、DBなどもそうだがある程度時間通り来るので、どうしようもないほどいい加減というわけではないが、日本人の真面目さに比べるとかなり個人差があるのだろうか。スタジアムのセキリティチェックもバッグの中身まですべてぶちまけられて、サングラスのケースまで開けて調べた担当者もいれば、バッグの中を覗いてニコッと笑って通してくれた担当者もいた。


スタジアム入場時のゲートの色分け(レッド、イエロー、グリーン、ブルー)なども、かなりの遠回りになっても絶対に入れないという担当者と、結局は中に入れば同じなのだから空いていれば目で通してくれた担当者といた。現地に行ってみれば当たり前のことなのかもしれないが、ステレオタイプのドイツ人論は意味がない。その意味で日本サッカーも日本人のステレオタイプで議論しても時間の無駄でサッカーの具体論を議論したほうが良いと思うのだが…。


ドイツ料理
思った以上に美味しかったと言うのが印象だ。全体的にしょっぱい味付けと言うか、はっきりした味を好むのかなとは思うが、それでも食べたものはほとんど美味しかった。特にそこいら中のスタンドで売っている、大きなソーセージをパンに挟んだものは、病み付きになりそうな美味しさだった。


日程の前半は3時キックオフが続いたので夕食をお店で取る時間もあったが、後半は夜9時キックオフが3日続いたので、試合を終え移動を終えると早くて零時、遅ければ午前3時という生活だったので、部屋に帰ってパンやカップ麺を食べるという味気ない食生活になってしまった。ただ、その中でもドイツのスーパーで見つけた『ニッシン カップヌーデン ブロッコリー味』は強烈だった。味は食べられないこともないが、カップヌードルのスープが緑色ってのは、ちょっと気持ち悪い。個人的に緑は好きな色だが、スープの色としては勘弁だ。


2006ワールドカップ
全12会場のうち5会場にしか行けなかったが、とても見やすいスタジアムが多かった。テレビで見るとシュトッツガルトなどトラック併設もあるのですべてと言うわけではないのかもしれないが、やはりサッカーが盛んな国はサッカー専用スタジアムで良いスタジアムが多いのだと改めて思った。席は後ろのほうになることが多かったが、スタンドの角度もあり全体的に見やすかった。スタンドに入った直後は屋根の圧迫感が気になるところもあったが、試合が始まると忘れた。


日韓大会のときも幸運にも多数観戦することができたが、やはり欧州で行われる大会ということで様々な国のサポーターが大挙して乗り込んでいるのが面白かった。一目見てすぐに分かる巨大や帽子を被っているメキシコサポーターや全員がベネロペ・クルスなんじゃないかと思うような美人が多いスペインサポーター。とにかくワールドカップを楽しむのだというトリニダード・トバゴサポーターや声の迫力が凄かったポルトガルサポーター。
アジアについては日本、イラン、サウジアラビアと3国の試合を見たが、やはり欧州勢に比べると声が出ていないという印象が強い。欧州ではないが、アルゼンチンサポーターの歌の多さも凄かった。日本にも皆が共通して歌える“分かりやすい歌”があればいいのに。国民的なヒットソングとは言わないが、皆が知っている歌の替え歌があるといいな。


移動と滞在
フランクフルト空港近くのホテルに9泊した。到着が夜9時で出発が朝7時だったので、使えた日数は8日間。それで7試合という日程だったが、始まると思った以上に早かった。現地入り前は、試合会場への移動がスムーズにいくかどうかが一番の心配事だったが、文句も言ったがDB(ドイツ鉄道)が分かりやすくトラブル少なく移動することができた。さすがに夜9時のキックオフは帰りの電車に乗るのが午前零時過ぎでホテルへ帰り着くのが午前3時と肉体的にはきつかったが臨時列車を走らせてくれたおかげで何とかなった。


ドイツの地名も行く前は「似たような地名ばっかりでよく分からん」と思っていたが、実際に行ってしまえばマインツマンハイムの違いも分かるし、デュッセルドルフとデュースバーグの違いも分かる。最初はチンプンカンプンだったドイツの時刻表や列車案内も、必要があってじっと眺めていると理解できるようになった。何日か生活していると読めない言葉も記号として分かってくるから不思議だった。


ホテルの立地が長距離線の空港駅とローカル線の空港駅の中間に建っているということが行く前の想像以上に便利だった。試合会場からの帰りも、とにかく空港駅にたどり着けばそこから部屋までは7、8分で帰れる。キオスクやスパーマーケットもあり、物価がやや高いが滞在と移動には非常に便利だった。
また、今回の旅で一番感謝しなければいけないのは、ジャーマンレイルパスの存在だろう。日本で言えば新幹線だろうが特急だろうがローカル線だろうが、すべての列車に乗り放題という便利さ。これがなかったら今回の旅もこのようにスムーズにはいかなかった。


ツアーに参加して旅行会社が用意してくれるバスに乗るのが一番楽だとは分かっていたが、今回は金額と日程的に折り合わなかった。次回は南アフリカだから、個人旅行は厳しいだろうか。まあ、行くかどうかまだ決めていないが。
しかし、なんだかんだ言ってもワールドカップは楽しいな。サッカージャーナリストの後藤健生さんの言葉が一番正しいと思う。
『とりあえず、行ってみ』