敗因分析

『監督の選考に失敗した』

この一言に尽きてしまうと思うのですが、それでもやはり残しておきましょうかね。


ピッチ上で戦うのは選手なのですが、結局は3試合とも戦えていなかったというのが印象です。実際にスタジアムで見ることができたクロアチア戦とブラジル戦の印象を主に書き残します。
選手は頑張っていたと思うのです。それは否定しない。ワールドカップという舞台に立てて、頑張らない選手などいないでしょう。でも、その頑張りがチームとしては機能しなかった。
例えば選手が走らないこと。これは特にブラジル戦の終盤に顕著でしたが、攻撃が手詰まりになればなるほど、日本の選手の足が止まってくる。上から俯瞰でピッチ全体を見ていると、日本の選手で走っているのは中盤の中田英選手と交代で入った生きの良いFWの一人ぐらい。これでは技術で上回るブラジルを崩せるわけがない。


最初にも書きましたが、この舞台に立って頑張らない選手などいない。しかし、走らない選手は多数いた。これは、“走らない”のか、“走れない”のか。
まあ、“走らない”とは考えたくないので、“走れない”と仮定してみましょう。なぜ、走れないのか。


フィジカルコンディションの悪さ。
計画的な選手起用をしない行き当たりばったりの選手起用では、選手のフジカルコンディションの管理ができていなかったのではないかという不安があります。コンディションの良し悪しに関係なく、あらかじめ決まっているスタメン。勝負事はすべて結果論ですから、発熱していても結果を出せばその選手の起用について賭けに勝ったと言えるのかもしれませんが、発熱した選手を起用してその選手が消えていたのなら何を考えているのやら。


常にメンバーを固定することでしか連携を確立できないチームが、多少のフジカルコンディションの問題では選手を交代できないという低レベルの事情は分かります。連携が確立できていない選手をスタメンで使うリスクと、常に試合をこなしてきたが発熱している選手を使うリスクを秤にかけているのだと思いますが、そもそもこの選択をしなければいけない時点で準備不足でしょう。選手の怪我はつきものだから全てに備えることはできないにしても、最低限の補償をかけることはできるはず。それらも全て行き当たりばったりと言う手際の悪さがチームをチームにしていない根底にあるように思えます。


困った時に戻れる基本がない。
相手にリードを許しているときに、何とかしたいと思わない選手はいないでしょう。でも、それでも走れなかった。これを外から想像するに、どのように走ればいいのか分からないというのが本音ではないでしょうか。


攻撃も守備も各自の判断とイマジネーション任せ。そうすると自分達が余裕を持って進めている時は多彩な選択を用意できるかもしれませんが、自分達が追い込まれているときに何ができるのか。効率の悪い試合の進め方(間延びした中盤、本当に無駄になるばかりの無駄走り)の中で、体力的にも消耗し判断力も落ちてくる。そのように追い込まれたときに何かを発揮できるのはチームとして共通理解のある方法しかないのではないか、そのようなことを考えています。ピッチ上で話し合いや修正をしている余裕がないときに、取れる手段がない。選手のイマジネーション不足の側面はあるにせよ、大問題は監督の準備武装でしょう。「この時間にこの選手を投入したらこのように使え」というはっきりしたメッセージのある交代も見受けられなかったし、選手交代でチームが持ち直したように見えるのは、クロアチア戦の稲本投入ぐらいしか思い当たりません(怪我は除く)。


結局のところ、あれだけ選手を大切に優先しているようにアピールしていたにもかかわらず、選手の個性を殺していたのは監督なのではないかと思えてしまいます。その選手が最大の能力を発揮できる場所を作って送り出す。そのためには、ある程度自己犠牲を強いられる選手もいる。しかし、時には自己犠牲そのものがその選手の個性を発揮していることにもつながる。そのような“個の好循環”がほとんど見られないチームでした。


信頼関係のなさ。
このような“信頼”とか“結束”という、選手の内面に見られるような部分を騙ることは、非常に危険なことは理解しています。ピッチを見れば走っている選手と走らない選手は明白ですが、選手間に信頼があるかないかなどということはまったく分かりません。それでもなお、このチームはチームとしての信頼関係が構築されていなかったとしか思えない部分があります。
スタメン組と控え組の温度差や、非常に限られた年齢層で構成されたチーム編成の問題など、様々な要素が考えられますが、それらを含めて監督の選手の心理マネジメント不足としか思えない。不足ではなく、心理マネジメントの放棄としたほうが良いのか。
「選手のプロ意識が足りなかった」
一見まともなコメントですが、そのような選手の寄せ集めでも結果を最大限出すのが監督の仕事でしょう。それを本番まで分からなかったのであれば監督として見る目がないしか言いようがないし、修正方法が分からなかったのであれば監督として無能であるとしか言いようがない。


選手のプロ意識が足りなかったという発言は、自ら自分の監督としての能力が足りなかったと言っているのと同意であるということに気がつかない人なのでしょうか。まあ、プロの監督として生きる気持ちが最初はなかった人に、何を求めても無駄なのですが。少なくとも監督の能力不足か、または現状にフィットする監督を選べなかった協会の怠慢でしょう。


強化試合の不足。
集金のための親善試合は多かったのですが、自ら海外に出てアウェイでの強化試合が絶対的に不足していたように思います。イングランドチェコなど、有名国との試合はどうしても力を図るというよりは話題性による集金戦略としか思えなかったし、もう少し欧州の中堅国や、南米、アフリカの中堅国とアウェイで戦って、自らの背の丈を理解しておく努力を怠ってしまった。
ただし、ここ最近のキリンカップを見ても、日本代表に問題があることはサッカーを見れば良く分かったはず。それすら怠ったのは、残念としか言いようがありません。日本のホームに相手がはるばる遠征してくれた親善試合ですらモタモタしていたチームが、どうして本気の本大会で結果を出せるのでしょう。協会のマッチメイクの誤りとともに、そこを深く問題追求しなかったメディアの責任も重いと考えます。ああ、集金戦略としては、日本で開催する親善試合を多くする協会のマッチメイクは誤りではなく成功でしたね。代表強化からはかけ離れましたが。


個の力不足。
すいません、これはかなり嫌味で使ってます。私の記憶では4年前のトルコ戦に敗れた時に、「監督が違えばベスト8に行けた」と話していたジーコ氏がいたように思います。例えばその時にも「日本にロナウドがいれば、ベスト8に行けた」と発言しているのなら、許せるのですよ。でも、その時には選手の問題には触れず、ひたすら監督のせいにした。しかし、今回自身が監督として失敗した挙句、「日本にロナウドがいれば…」という発言は、分からないというか許しがたい。日本にロナウドがいないことは、4年前のトルコ戦から分かっていることです。それに対し、無為無策の4年間を過ごした後に、「違いを作り出せる人がいない」と言われてもね。結局のところ、4年間の準備不足と言わざるを得ない。


また今回の本大会でも監督自らが選手の肉体的コンディションの問題を敗因に挙げていますが、前回も小野選手の腹痛、直前の高原選手の離脱、西沢選手の盲腸、大会が始まってからも森岡選手が使えなかったり、柳沢選手の首痛(確かな情報ではありません)など、様々な問題は抱えています。でも、それは当然起こりうることであり、それに対する備えをしておくことが優秀な監督でしょう。その意味でもまったくの準備不足と言わざるを得ない。



結局、すべて準備不足というキーワードになってしまうのですよね。大きな意味での準備をするのは協会の仕事、チームの準備をするのは監督の仕事。試合をするのは選手の仕事ですが、選手個々の力不足という前に、チームとして準備不足があったと思わざるを得ない。
そしてその原因は、向かない監督を選んでしまった協会と適材ではないところに置かれ、仕事ができなかった監督。ここに行き着いてしまうのですよね。途中に修正するチャンス(監督交代のチャンス)は何度かあっただけに、より協会の責任が重いと感じています。


この失った4年間から何を得るのか、ブラジル戦以降ずっと考えています。でも、本当に思いつかない。ドイツのピッチでの3試合や、それ以前のアジアカップ優勝まで遡っても、何が残ったと言えばいいのか。
今回の失敗が壮大な反面教師だったというだけでは寂しすぎるので、本当に良かったところを探しているのですが、見当たらない。追い込まれてからの反発力は3試合を通じて見られなかったし、ファミリーの結束というのもドイツでは幻想だった。自由と自主性の象徴である話し合いがドイツの宿舎で行われた様子も伺えない。今言えるのは、これから先の4年間で個の4年間と同じ失敗を繰り返してはならない、そのためには失敗の原因を明らかにする努力を怠ってはならない。そんなことしか思い浮かびません。引き続き、考えます。