ヒデ

以下は某所へ投稿した文章の一部抜粋です。

確かに、チームの中に”違いを生み出せる選手”がいたほうが良いことには同意です。
しかし、それを夢見るがあまり、基本的なことすらおざなりにしてしまったことが残念です。


中田がよく”孤高”とか”突然変異”と呼ばれてしまいます。
しかし彼はフットボーラーとしての基本中の基本を口に出しているに過ぎない。
それを共通理解として踏まえ、そのような選手が多数生まれた中で、”違いの生み出せる選手が必要”というなら良いのですが、今回の惨敗の中で「違いを生み出せる選手がいないから負けた」と言われると、それは違うだろうと思ってしまうのです。

上記は、ジーコ監督の4年間についての考察の中で、「テクニシャンの重用」や「日本にロナウドがいれば…」という発言を意識しての投稿です。


そして、このジェレミーさんのコラム


正直なことを言えば、中田が孤立してしまうような現在の日本サッカーの体質は嫌いだし、いくら監督の首を挿げ替えても、このような”甘さ”の部分を残していては「世界との差」は永久に埋められない。逆説的な言い方をすれば、「世界との差」という言葉を使うこと自体が日本の甘えであるとしか思えない。


「世界との差」や「世界の壁」などと曖昧な表現をして問題をぼかしてしまうのではなく、対戦相手のチームとどこに差があったのか。そして、それを埋めるためにはどのようなことをしなければならないのか。それが埋められないのであれば、どのような戦い方を採らなければならないのか。
そのような具体論が話されない限り、差は永遠に埋まらない、というか、埋める努力を怠るのが日本人なのではないかと思ってしまいます。