日本サッカーの目指す道は?

下のヴェルディの試合についてのエントリーで感じていたけど言葉にしなかった部分について、補足として書いておきたいと思います。
コメント欄でご意見をいただいて、それに対する答えとしても少し書いていますが。

別にJのレベルが高いとか低いとか言っているわけではないので、そこのところをどうぞよろしく。
試合を見て感じたことはパススピードの遅さ。でも、それは意識で変えられることじゃないかと思うわけです。ただ、「日本のサッカーは遅いパススピードを売り物にする。それを武器にしてアジアレベルや世界レベルの大会を戦っていく」という方向にいくのならいいのですが。
一方、ヴェルディについては遅いパススピードの上に足元パスのオンパレードなので、「これじゃ相手を崩せんだろう」ということです。


「パススピードも遅く、選手も走らないサッカーで世界大会に出るとどうなるか」という実験は1ヶ月前にしたので、それを変えたいならリーグから変えなければダメだろう。変えたくないのなら、その中でどうするのかを考えないと勝てない。ヴェルディについても、実際にJ2の中でも勝てないのですから。


このような感覚は意識していないと持てないと思うのです。ワールドカップから時間が経てば忘れてしまう。来年の今頃行われる試合でも同じパススピードだったとしても、見慣れてしまった目には同じことを感じないかもしれない。そんなことも含めて、感じたことを書き残しました。

J2の試合を見て世界サッカーを語るなという意見があるかもしれませんが、やはりリーグのサッカーはその国のサッカーの基本だし重心だと思うので感じたことを書いておきます。


いきなり結論になるのですが、この試合を見ながら感じたことは「日本サッカーはこの先どのような方向に進みたいの?」という疑問でした。Jの各クラブにもチーム事情があって、そこで展開したいサッカーと実際に実現できるサッカーには違いがあることでしょう。「こんなサッカーがしたい」という理想があっても、実際にそのタスクをこなせるだけの技術やその他も含めた力を持っている選手が揃わなければ理想の実現などできない。
でも、パススピードというのは上げる気があれば上げられると思うのです。でも、現在は上げる気がないのか、または上げる必要がないから今のパススピードで普通になっている。J1が再開されたら見に行こうと思いますが、やはり日本の国内サッカーに共有するパススピードというものがあると思うのです。本当にそのままでいいのか。そのままでいいとしたら、そのようなサッカーでどうやって国外と戦っていくのか。


代表のドイツでの結果だけでなく、リーグの延長戦上にあるACLでも結果が残せない現状の中で、今のままの日本サッカーで通用するところと通用しないところの議論はなされているのか。その議論と言うのは協会だけでなく、ACLに出場するクラブだけでなく、サポーターやマスコミも含めた上で、「ここが足りない、ここが強み」という議論がなされているのか。ワールドカップ前に各テレビ局などで対戦国分析がさんざん行われましたが、あのような希望的観測の羅列ではなく、日本の目指すべきサッカー、理想とするサッカー、国民の大多数が望むサッカー、そのようなサッカー論がまだまだ足りないのではないかと。


欧州スタイルが優れているというわけではありません。ただ、現実的に現在の日本サッカーでは欧州の中堅国にも勝てない。それでは、中堅国に勝つために、遅いパスまわしにさらに磨きをかけるのか、それともパススピードを早くするのか。まあ、これは一例ですが、単に真似をするのではなく、日本人の体格や考え方や今までのサッカーの歴史の中で培ってきたものを踏まえて、今後の日本サッカーの目指すべき方向性を考えなきゃいけない時期に来ているのではないかなと思うのです。
パススピードの問題だけでなく、日本では守備から攻撃に切り替わった時にボールを持つ選手に「タメを作る」という表現をしますが、実際の攻撃過程ではそのような「タメ」は相手を崩すには邪魔になるばかりで少ない人数で攻めきってしまうほうが良いのかもしれない。味方の上がりを待つ時間が必要なのは、日本サッカーの守攻の切り替えが遅いからで、守攻の切り替えが早くなれば「タメ」など必要ないかもしれない。


それでも日本は「タメ」があるサッカーが好きだ、遅い攻撃が好きだ、というならそれでも良いのです。それならそれで、そのやり方で勝つ方法に磨きをかけないといけないのですが、そのあたりの議論が少ないのかなと感じています。
日本サッカーの総論としての方向性の議論が少ないと感じている中、日本サッカーの各論としてはそれぞれのクラブの個性を磨くということでしょうか。ヴェルディについては「勝敗よりも、ショートパスを足元につなぐ」サッカーが先にあって、その方法の中で勝利を求めていくのか、それとも勝利を求めるところから逆算していくのか。各クラブに個性があることは素晴らしいのですが、その中にも「パススピード」や「攻守の切り替えの早さ」など、日本サッカーの進むべき道への共通理解があってもいい時期にきたのではないかと思います。ワールドカップに3回出場して、彼我の実力の差も充分にわかってきたことですし、「強い、弱い」とか「レベルが高い、低い」ではなく、「何が足りていて、何が足りない」とか「どこを伸ばす」という議論に入るべきときじゃないかなと感じています。


『世界の壁は厚かった』という実体の伴わない言葉ですべてを済ますのではなく、「パススピードが遅かった」とか「攻守の切り替えが遅かった」とか「選手の走る距離が少なかった」のか「選手の走りの質が劣っていた」のか「スペースの使い方が足りなかった」のか「スペースの作り方が足りなかった」のか。
もちろん「体格で劣っていた」のなら、それを補うためにどのように戦うのかも必要ですね。喉もと過ぎれば熱さを忘れるのではなく、日々のJの試合で感じ考え、それが日本サッカーの方向性を考えるキッカケになればと思う次第です。そのためにはスタジアムに足を運び、たとえ応援するチームであっても不甲斐ないプレーにはブーイングで不快感を表し「そのようなプレーは望んでいない」という意思表示をし、それが各地の各スタジアムで起こり、最終的には日本代表に対しても「結果に対する不快感」ではなく「プレーに対する不快感」を意思表示できるようにならないと日本サッカーは変わらないのではないかと思ってしまいます。


まとまりのない文章ですが(いつもか?)、下のエントリーを書いていた時に日本サッカーという大きなくくりに関して感じたけど省略したことです。ヴェルディについては、また後日。