狂騒に乗る前に…

今一度、この8年間を振り返ったほうが良いのかもしれませんね。


「新しい舞台を用意する前に」その1. 大池だより
「新しい舞台を用意する前に」その2. 
「新しい舞台を用意する前に」その3. 
「新しい舞台を用意する前に」その4. 


トルシエさんにはトルシエさんの良さがあり欠点がある。ジーコさんにはジーコさんの良さがあり欠点がある。結局のところ、代表監督としてその良さの部分が引き出されるのか、それとも欠点の部分が露呈してしまうのか。大きな意味での結果や内容の評価は必要だと思うのですが、ある1箇所の欠点をもってして「要らない」と切り捨ててしまうのは、もったいない。


しかし、現在の協会は(川淵はか)大きな意味での評価すらすることなく、次に進もうとしている。トルシエさんの欠点だけクローズアップし、ジーコさんの良い部分(と協会が言い張っている)部分だけをクローズアップする。川淵氏の会長としての責任における「ジーコ氏を独断(に近い形で)選んだ責任」も大きいと思うのですが、それ以上に「自分に都合の悪いものから目をそらし、都合の良いものだけを見ている」という部分がこの規模の組織の長としてはふさわしくないと感じています。


人間だれしも間違いは犯すし、完璧な判断を毎回必ず下せるわけではない。しかし、間違いを間違いとして認めなかったり、間違いを隠すためにさらなる策を弄する人間は信頼できない。間違いを間違いと潔く認められるのなら、次を託そうという信頼も沸いてくる。
トルシエさんを必要以上に貶め、ジーコさんを必要以上に持ち上げることに対する川淵氏への嫌悪感が大きくなっているのではないかと思います。必要以上に持ち上げても、結果が出ているうちはまだ良かった。良かったというよりは反論を封じ込められたということですね。しかし、結果が出なかった現在、検証、反省をしないまま次に進もうという姿勢は嫌悪感を超え川淵氏の否定につながっているのだと思います。
本当は結果が出ている時こそ検証し、次への対策をとっておくべきだったと思ってますけどね。